ソサエティ5.0に向けて – 光との関わり方 原始時代~奈良時代

今回から日本人と光の関わり方の歴史について振り返ってみることによって、人間と光のこれからの関わり方について考えてみたい。

日本人が夜の照明として初めて使用した灯りは、約1万5千年前の旧石器時代に木や草などを燃やした「たき火」と言われている。たき火は、食べ物を調理したり、体を暖めたりすると共に夜を明るくする役目を持っていた。また、屋外で携帯する灯りとして松、竹などを束ねて点火し、手に持って移動する「松明」(たいまつ)があった。

縄文時代には、囲炉裏の原型である「」を使用するようになる。土器を埋め込んだ炉や石で囲った炉、地面の床を少し掘り込んだ炉などが遺跡として残っている。屋内で木の枝を燃やす炉を灯りとすることで日が暮れた後でも屋内で作業をすることができたと考えられる。

また、昔は「庭火」とたき火のことを呼び、薪を地面に直接置いて焚いていたが、後に「かがり火」として鉄製の半球型の籠に薪を入れたものを柱に吊ったり、三脚の上に置いたりして屋外の夜の照明に使用していた。かがり火は平安時代には、水辺や庭などに置いて、風景を愛でる仕掛けとしても利用していた。現代でも「薪能」の催しなどで使用されている。

飛鳥時代には、仏教と共に「灯籠」(とうろう)が大陸、朝鮮から伝来し、仏像に清浄な灯りを献じるためのものとして仏堂などの前面に配置された。灯籠は灯(あかり)籠(かご)であり、あかりの火が風などで消えないように囲いをしたものである。それまでの燃焼に任せた光の取り入れ方から安全に灯火具を用いて燃焼させる形となって灯籠は主に仏教寺院の装飾道具として用いられた。置灯篭、釣灯篭があり、素材は金属や石、木などで製作されていた。後に庭園文化の発達と共に観賞用として用いられるようになり、現在でも灯篭は社寺の庭園などで見られ、趣のある景観をつくり出す要素となっている。

また、奈良時代には中国から「蜜ロウソク」が伝わった。蜜ロウソクは蜂蜜を原料とし、煤や黒煙を発生させずにゆっくり燃え、温かなオレンジ色の炎とほのかな甘い香りでくつろげると現代でも好んで使っている人もいるロウソクである。平安時代には遣唐使の中止により、中国から蜜ロウソクの輸入が無くなり国内で松脂ロウソクの製造が始まったと考えられている。

原始時代から奈良時代にかけては、火を使うことで、集団で生活したり定住したりすることができるようになり、人々の生活が大きく進歩した時期である。光との原始的な関わり方から少しずつ光を能動的に取り入れて利用することができる生活へと変化することによって、人間の生活の幅を広げていった時代と言えるだろう。