ソサエティ5.0に向けて – 光との関わり方 平安時代~安土・桃山時代

平安時代になると木や草という自然材料を燃やす灯りから、魚や木の実などから搾り取った灯油(ともしあぶら)を燃料にした灯りが広まっていく。

その灯りの原型は、皿に油を入れ、そこにつけたひもを灯心とし、火をつけて灯りとした「灯明皿」(とうみょうざら)である。その後、広い範囲を照らせるように、油皿の下に垂直の脚がついて床に置ける「灯台」(とうだい)が生まれる。灯台には部屋全体を照らすことができるように支柱の高さが高い「高灯台」、読み書きをするために手元を照らす高さが低い「切灯台」などがあり、人々は目的に応じて使い分けていた。

しかし、灯台は炎がむき出しになっており、家の中に隙間風が吹くと炎が消えてしまったり火事の危険があった。そこで、火が消えないように火の周囲を覆った照明器具「行灯」(あんどん)が考え出された。行灯は、油皿の周囲を和紙を貼った立方形や円筒形などの箱で覆ったものである。この時代の行灯は携帯用として使用され、小型のものが多かった。

また、瓦用の土で作った陶製の灯りで蓋がある「瓦灯」(がとう)が生まれ庶民に重宝された。蓋には空気抜けの穴があき、本体にもいくつもの小さな穴が開いていて穴から漏れる光で周囲を照らせる。当時の人々は油の消費を倹約するために通常は灯心を1本で使用するようにし、来客などある特別な時には2本で使用するようにして節約していたという。

瓦灯は明るさを2通りに選べるものであった。灯皿を外に出して明るい光で照らしたり中に灯皿を入れて蓋をしてほのかな灯りの常夜灯として使ったりと必要な明るさに応じて使い分けていた。
器具の使い方で明るさを調整できる灯りとして瓦灯は日本人の細やかな心配りが伺える照明器具だったと言えるだろう。

この時代に灯具の灯油として利用されていたのは、植物や動物から採った油だった。植物油としては主に菜種油が使われていた。しかし、非常に高価であったために庶民の手には届かず庶民が主に利用したのは魚油であった。魚油として主に使われたのはいわしの油を原料としたものである。魚油は安価であったが、燃やすことで魚臭い匂いが出ることやすすが多量に出ることが難点だった。庶民が安くて使いやすい菜種油を広く利用できるようになるのは次の江戸時代になってからであり、それまでは主に魚油によって光を得ていた。