日本人と灯り (1) – 生活に色彩や艶を与える光

能動的に光をコントロールする時代から、光を受動的に享受する時代へ
そして、再び能動的に光をコントロールする時代へ…
―生活に細やかな色彩や艶を与える光とは

日本画、窓と言う視点で日本の伝統建築と光の関わり合いを考えてみたが、今度は日本人と灯りの関わりの歴史を振り返って現在の照明について考えてみたい。

古代の灯りとしては篝火(かがりび)があり、支柱に設置したり吊るしたりして灯りとしていた。 携帯用の灯りとしては松明が使われていた。どちらも古代において夜道を照らしたり、神事に使われる大切なツールだった。
室町時代以降に行灯が生まれ、江戸時代になると一般に普及した。行灯は油を燃やす灯火具で行灯の明かりは紙を通してのやわらかな光で照度は60W電球の50分1程であったという。基本は据え置き型だが持ち運びもできるものだった。
江戸時代になると携帯に便利な灯具として提灯が普及した。提灯は火袋の中にロウソクを立てて持ち歩けるようにしたもので提灯によって夜の人々の行動がより便利になった。
幕末に石油ランプが日本に入ってきた。 明治初期までは高価な輸入品を使用していたがその後日本でランプの製造が始まり、普及していく。 据え置き型の座敷ランプ、携帯できる小型の豆ランプ、日本の石油ランプの主流となる吊りランプなどがあり、用途に応じて利用していた。
明治になると横浜に初めてガス灯が点った。当時は15Wほどの明るさだった。 1868年にガスマントルが発明され、明るさが5倍になり、焔の色も青白い光となり家庭でも使われるようになり、ガス灯は20世紀の始めに全盛期を迎えた。

その後1815年をピークに電灯に代わっていき、1937年には姿を消してしまった。
1884年に日本で初めて輸入した白熱電球が上野駅に灯った。 1890年には日本での白熱電球の製造が始まり、1925年にはまぶしくない電球が開発され、現在の白熱電球となった。 白熱電球の普及で誰でも手軽に長時間照明を点灯できるようになり、暗闇から明るい世界へと人々の生活は飛躍的に便利なものになった。 しかし当時の白熱灯の明るさは現在の半分以下だったという。

そして白熱灯に比べて発熱量が少なく、寿命も長い蛍光灯が1926年に発明された。
1940年に法隆寺金堂壁画模写事業で20W昼光色の蛍光灯を点灯したのが日本での蛍光灯の実用化の始まりとなる。 現在では蛍光ランプの色も昼光色・昼白色・白色・温白色・電球色があり、形状、用途、色などを選択して目的に応じた照明計画することができるようになった。

その後、明るさの調光や色温度の調色などの照明のコントロールが可能となり、様々なシステムが誕生し、照明計画の幅が広がっていく。そして照明の革命とも言えるLED照明が登場し、照明の可能性も大きく広がった。
 
 
こうして日本人と灯りの関係の歴史を振り返ると、古代から火を光源とした様々な照明は人間の能動的な行動により点灯され、利用され、暗さの中の明るさ調節もある程度の自由度を持った照明だったといえる。 白熱灯や蛍光灯の照明が空間の明るさを確保する手段に利用されるようになると基本的には建築に固定設置され、光源の仕様も一括して設定されたものとなり、人間は受動的に光を享受する形となったと言える。

能動的に光をコントロールする時代から、光を受動的に享受する時代への変化は、私達日本人が本来持っていた光をコントロールし、日常の中にどう取り入れていくかと言う、光の感性を鈍らせたのではないだろうか。 能動的に自分の関わる光環境をより豊かにして行く事は、生活に細やかな色彩や艶を与えてくれるに違いないからこそ、現状の光とどう関わって行くのか一人一人がもう一度考えて行く必要があるのではないだろうか。