「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ」


織田信長(1534年~1582年)は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名である。尾張の守護大名の家老でしかなかった織田家を強大な勢力に育てた人物で、天下統一を目前に部下の明智光秀に暗殺された。

 必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ

―惰性で生きる人生ではなく、真剣に必死に生きる人生は、素晴らしいものとなり、
光輝くものとなるだろう。―

この格言は信長が自分自身を鼓舞するための言葉でもあり、家臣へ対しての戦への心構えの言葉でもあるように思える。
自身に対しては、苦労や困難のある中でも必死に頑張って生きればこそ称賛に価する素晴らしい人生となるだろうと言い聞かせている言葉でもあり、家臣に対しては、戦には忠義を尽くして全力で臨んで欲しいという気持ちが込められた言葉であろう。

信長は我が身を犠牲にして忠義を尽くした者に対して身分の上下に関係なく最大限の礼を尽くしその功績を称えたと言われている。その例として、信長は、長篠の戦で身分の低い足軽でありながら自分の命を犠牲にして長篠城を落城の危機から救った者には、その勇敢な行為を称え、その忠義心に報いるために立派な墓を建てたという。
この格言は真剣に生きる姿勢の大切さを呼びかけていて、時代を超えて現代の私達にとっても心に響く言葉である。