「自分が光るまで光を吸飲しよう」


坂村真民(1909年~2006年)は熊本県出身の仏教詩人。「癒しの詩人」と評された。
18歳頃から短歌を作り出し、41歳に詩に転じた。その作品は分かりやすく、小学生から財界人にまで愛されている。

一遍上人を敬愛し、58歳から居住した愛媛県伊予郡では、午前零時に起床して夜明けに近くの川のほとりで祈りを捧げる日々を過ごした。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、多くの人達に生きる力を与え続けている。

 自分が光るまで光を吸飲しよう

一遍を敬愛していた真民にとってここで言う光は単に物を照らす光だけではなく、仏教における光も意味していたのではないかと思う。

仏教において「光」は仏が発する光で「知恵」や「慈悲」を象徴するものとされている。そして「知恵」は分析判断能力としての知恵とは異なり、最も深い意味での理性のこととされている。

――世の中にある「知恵」や「徳」や慈悲にあふれた「愛の心」などの多くのものを吸飲しよう、そしておのれをおのれたらしめるものを自分の中に築き上げるために努力を惜しまずに前進しよう、そうすればきっと輝く自分になれる――

真民はそう言いたかったのではないだろうか。
一遍の生き方に惹かれそのあとを継ぐことを自らの人生の修行と位置づけていた真民は、97歳で旅立つまで個人詩誌を刊行し続け、愛好者たちへメッセージを送り続けた。
その根底には、病に苦しむ人を慰め、正しく生きようとする人を励まし、天の力を借りてその病を癒し、その心を強くし天国に送り届けることが私の一生の祈りであるという真民の温かく強い意志があった。彼の詩碑は日本をはじめ世界に730基も建てられているという。
彼の魂へ呼びかける言葉は、これからも多くの人の心の中に生き続けていくことだろう。

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