窓と光と照明

窓は日射を取り入れたり、換気や通風を確保したり、眺望を得たりと外界との接点として、人間に精神的、身体的に多くの影響を与え、快適な生活や夢や希望を与えてきた。窓についてみてみることでこれからの光環境について考えてみたい。

窓はその語源は柱と梁の間の小壁や建具で埋めた間の戸、「間戸(まど)」あるいは「間処(まどか)」からきていると言われている。歴史的にみると日本人にとって窓は自然と共生して生活する上で、閉鎖目的に使用するというよりは、外界と対話しつつ開放することを基本として使用し、必要に応じて建具でふさぐという感覚だったと言える。四季のある豊かな自然の中で生活する日本人にとって窓は空間を外部に開放したり密閉したりするために、必要な緩急自在さのある建具だったのだ。そして光や自然を受け入れる広く開放されたものだった。

西洋の場合、昔の窓は石造建物における石の壁の風の通り道、光の受け取り口としての開口部、穴としての窓だった。また、構造的に水平方向に大きく窓を設けることはできず、垂直方向に長い形でしか窓はとれなかった。

日本の窓の原型として蔀戸(しとみど)があげられる。蔀戸は雨風を防ぐために閉めたり開けたりする建具だった。建具は閉めると壁のようになる。その後、蔀戸から障子が生まれ、障子から派生して襖(ふすま)が生まれた。障子も襖も開閉により空間を区切って使用することができ、障子は閉めても光だけを室内に入れることができる優れた建具と言える。明確な外部空間と内部空間の対立のない日本の建築空間を、有機的ともいえる日本の建具が自然と共存し、四季の移ろいを取り入れて楽しむ日本人の暮らしを彩ってきた。

また、日本家屋は長い庇(ひさし)により夏の日射を遮ることにより住まいの中はうす暗くなり、庭からの光を室内に導くために様々な工夫をしてきた。庭に白砂を敷いて光を反射させたり、縁側に射した光を反射させたり。光に対する繊細な感性が磨かれてきた事が文学作品として記されている、谷崎潤一郎の「陰影礼賛」には、そう言った日本特有の光の美意識が記されている。

日本人は季節ごとに変化する太陽光や自然の風景を繊細な感覚で享受し、その中で文化を育んできた。日本の伝統建築建築の窓から見える借景や庭の風景、窓枠を額縁として風景を楽しむなど日本人にとっての窓は基本的な機能を持ちつつも、有機的で精神性の高いものと言える。外界との接点としての窓を季節感や天候に応じて多くの機能を持ったものとして使ってきた日本人。その繊細な慣習や日本人の趣向、生活は世界でも特筆すべき特性だろう。
 
 
明治維新後、ガラスを窓に使用するようになり、窓ガラスは開放的だった日本の家屋になじんで多く使われるようになった。現在ではガラス窓の出現により、昼は積極的に光を取り入れ、明るい室内を実現している。一方照明の世界もLEDの出現で色や調光など今まさに限りない可能性が広がっている。

そのような状況で窓を通して自然と対話してきた日本人でこそ創造する事の出来る、豊かで実りある光環境があるのではなないだろうか。生活と人との関わりの中で体と心にやさしい、季節や時に応じた光環境の創造。それには照明を知り尽くした者としての光空間への提言こそが求められているのではないだろうか。