春の気配


 
冬の寒さと透明感が尾を引きつつも、穏やかな日差しを受けた草花が春めいた景色を見せる3月。春の風情ある月の表情のひとつ、霧や靄によって乱反射した光が月をほのかにかすませる「朧月」もこの頃に観測され始める。今回は、そんな春の夜を情緒豊かに詠んだ漢詩をご紹介したい。
 

金爐香尽漏声残
─金炉の香尽き漏声残く
翦翦軽風陣陣寒
─翦翦たる軽風 陣陣に寒し
春色悩人眠不得
─春色人を悩まして眠り得ず
月移花影上欄干
─月は花影を移して欄干に上らしむ

金の香炉の香は燃え尽き、水時計の音も途絶えた。
時折吹く夜風が肌寒い。
微かに感じる春の気配が悩ましく眠ることができない。
月が先程まで地に落ちていた花の影を欄干にまで登らせた。

 
 
香が尽き、時計の音が止み、夜風が吹き始め、月が昇ることによって花の影が移ろぐ…巧みな情景、時間経過、心理の描写によって春の夜の情緒を描いた「夜直」は、北宋の時代の政治家・詩人・文学者である王安石(おうあんせき)によって詠まれた漢詩である。同じく春の夜を題材に詠んだ蘇軾(そしょく)の「春夜」と並んで、春の夜を描いた詩の双璧とされている。

冷たい夜風の中に段々と春のあたたかさが混じり始め、春の到来に想いを馳せる。新たな門出の季節を目前にして期待と不安の間に心が揺らぐ。曖昧で神妙な雰囲気を感じさせる「春霞」「朧月」といった春の光は、冬から春に移り変わるこの時期の心情と深く結びついて私たちの感情に訴え掛けてくる。

もう少しで季節は春のさなかへと踏み入り、麗らかな陽気に各所で桜が花開く。
今はまだ、春を待ち心がはやるこの季節に寄り添う光に身を委ねたい。
 
 
Photo by ozma