子供たちに伝えていきたい事

日本人は古来から微妙な光を味わい楽しんできた。

都市部では日本家屋が伝統的な木造からコンクリート造に変わり、生活環境がかなり変化してきた。その為、以前の様に障子から差し込む薄明かりを楽しむ機会が少なくなっている。しかしこの生活様式になってまだ月日は浅い。昔の木造建築で生活してきた大人は現在でも多くいる。又、日本人の遺伝子に「仄明かり」を楽しむ事が刷り込まれている筈だ。まだ私たちの中には仄明かりを楽しんだりする感覚はある人が多いのではないだろうか。生活の中で僅かな光に心落ち着かせる場を設ける事で、微妙な光を楽しむ情緒に溢れた感覚を持っている筈だ。

一方、子供たちはどうだろうか。子供の時の経験がその後のその人の感覚や価値観に影響するとはよく言われる事だが、今の子供たちにとって光環境がどう受け取られているかと考えると、高度成長期以降の「明るければ良い」という風潮の照明の中で過ごして来て、その価値観にさらされていると想像できる。

しかし、震災以降を機に照明の在り方を考え直す傾向が出てきた今、本当に人間が快適に過ごす為に賢く照明を使用するにはどうしたら良いかを子供たちが今まさに体験する良い機会となっているのではないだろうか。それには今の社会の中で明るさだけを追求するのではなく、光の質やそれによって映し出される空間や場の中に生まれる情緒性を育まれる様にする必要がある。

子供たちが明るさだけを追い求めるのではなく、必要な明るさの確保と照明を合理的に使う方法を学び、楽しみながら照明を能動的に使っていく。そういう大人になるには日本独特の照明の作法を基本に立ち戻り、再認識し、現在の大人がきちんと考え有効な方法を行って光環境を良いものとする努力が大切だ。

「謙虚な姿勢で光と向き合う事」それは、「謙虚な心で人と接する事」でもある。
仄明かりを意識して生活する事で、より感性が研ぎ澄まされ他者や自然を重んじる思いやりの心が育まれれば、より精神的に豊かな人間が生まれ、より円熟した文化や社会になって行くのではないだろうか。

― 私たちが子供たちに伝えていかなくてはいけない事 ―
生きる事に存在する闇の部分、それは人間関係の中で生まれる苦悩や葛藤それに理不尽な事、怒り。その負の感情をどうやって解消すれば良いのか、現代人は少し忘れてしまっているような気がする…。
きっと優しく解きほぐす事が出来るのは、心の豊かさ、深さ、広がり、そして他者を思いやれる優しさ、美しいものを感じられる心、愛おしいと思える心、感謝の気持ちなのではないだろうか。

子供たちの心に少しでも多くの優しさが灯るように、闇の部分に覆われないように、私たちが出来る事を日々考えずにはいられない。