江戸時代の生活と光2─循環型社会として


限られたエネルギーと物質を活用して循環型社会を実現していた江戸時代の江戸。自然と調和しながら「もったいない」の精神で、あらゆる物を大切にして持続可能で低炭素な社会を構築していた。

江戸時代では物のReuse(リユース)、Rdpair(リペア)、Recycle(リサイクル)が実現されていたと言える。

「リユース」とは、そのままの形状で再度使用することであり、江戸時代、着物は一着をおさがりにしたり人に譲って大切に着続けた。庶民にとっての着物は古着であった。使い古してぼろぼろになった着物は雑巾やおむつにし、最後は風呂やかまどの燃料として使用し使いきっていた。

「リペア」は修理・修繕しながら大切に使うことで、江戸では瀬戸物の食器は割れると焼継ぎ屋と呼ばれる陶器の修理をする職人に依頼して修理して使っていた。他にも鍋釜、傘、提灯などあらゆる日用品も修理をして使い続けていた。

「リサイクル」とは、不用品や廃棄物を再利用することで、江戸の都市には1000ものリサイクル業を営む組織があったと言われている。※1
例を挙げると、「紙屑買い」により紙は繰り返し再生し、最終的にはトイレの紙や鼻紙として使用していた。この時代に紙をこのように再利用していた国は世界でも珍しいと言われている。また、かまどなどで燃やされたあとの灰は「灰買い」により回収され、肥料の原料となったり、藍染、酒造、製紙などの工程に利用されていた。

当時、提灯や行灯に使われていたろうそくは、高価だったためにろうそくが燭台から流れ出た蝋を集めて再利用する「ろうそくの流れ買い」と呼ばれる業者がいた。流れ出た蝋は「蝋涙」(ろうるい)という美しい名前がついていたと言う。

他にも空樽買い、ほうき買いなどの業者によりあらゆる製品の再利用が行われていた。

特筆すべきは下肥の扱いである。人間の廃棄物であるし尿は肥溜めにて衛生的に処理して安全安心な肥料である下肥に変えて農業に利用していた。人の廃棄物が貴重な資源として再利用されていたのである。
江戸の町は循環型社会を営むことにより自然と共生し、衛生的で安全な街であった。当時江戸を訪れた外国人は、街が世界的にも珍しく衛生的なことに驚いたと言われている。

※1 循環型社会の歴史 環境省編 https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h20/html/hj08010202.html