ソサエティ5.0に向けて5 – 光との関わり方 江戸時代②

灯りの燃料として日本で作られていたろうそくは「和ろうそく」と呼ばれ、うるし科の植物の実に含まれる脂肪分を抽出して作られていた。和ろうそくは製品にするまでの工程に技術が必要で手間もかかり江戸時代になっても大変高価であった。しかし、原料に魚油を混ぜて作る方法が生まれ、次第に生産量も増え価格も安くなり一般に広まっていく。

そしてろうそくのリサイクルとして、火をつけた際に溶けて流れ落ちて残ったろうを集めて再利用してろうそくを作ることが行われていた。江戸の庶民は、生活上使うものは何でも使い回して無駄にすることなく使いきるという感覚を持っていたためろうそくについても大切に無駄なく使いながら灯りに利用する姿勢で暮らしていた。

ろうそくが光源として広く利用できるようになってから灯りも様々なものが開発されて製品化されていく。

携帯用の灯りとして「提灯」が生まれ、用途に応じて多くの種類の提灯が使用された。小田原提灯、ぶら提灯、弓張提灯、高張提灯、馬上提灯など。「小田原提灯」は折り畳みが出来、旅をする際に便利に使用された。「馬上提灯」は馬に乗っていても腰に差して使用できるように長い柄がついており、柄の素材は弾力がある鯨の骨を使い、揺れてもろうそくの火が消えないように工夫されていた。

また「龕灯」(がんどう)と呼ばれる正面のみを照らす懐中電灯のようなものも生まれた。金属製、または木製でできており、桶状の外観で内側では2本のリングが回転し、どのような方向にがん灯を振り回しても常に中のろうそくは垂直に立って火が消えないような工夫が見事に施されている。

「掛行灯」(かけあんどん)は現在のブラケットの機能を持つ壁かけの灯りで看板照明としても使用された。
「八間」(はっかく)は江戸のシャンデリアとも言えるペンダント照明。和紙を貼った木枠が笠になった灯りで天井から吊って大勢人が集まる場所で部屋全体を明るくする場合に利用していた。笠の反射で明るい光を上部から得ることができた。

「木灯籠」(きとうろう)は街灯として高い位置から光を投げかけていた灯りで、「辻行灯」(つじあんどん)は辻番所の前に備えてあった台付きの行灯で人々を守る防犯灯の灯りであった。

以上のように江戸時代は現在ある照明器具の原型と言えるような多くの種類の灯りが庶民の手で生み出された時代である。日本人の細やかな感性から生まれた和の灯りは細かい工夫や巧みな考案がされており、形態は単純であるが美しい機能美を持ち合わせている。そしてこれら表情豊かな和の灯りは現代でも好まれて様々な場面で利用されている。