春分の光


3月は春の訪れを祝う祭が世界各地で古くから行われている。
その伝統行事の多くは春分の日を基準としており、真東から登る太陽の光は古来から重要で神聖なものであった。

日本では春分の日を基準に前後3日間を春の彼岸と呼び祖先を祀る。元々は宮中で祖先を祀る日とされていたものが明治時代に「春季皇霊祭」と定められ祝日となったという。
キリスト教の典礼暦であるイースター(復活祭)は「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」で算出され、年によって日付が変わる。
春分の日はイラン暦では元日にあたり、ノウルーズと呼ばれている。ペルシア語で、ナウ(naw)は「新しい」、ルーズ(rūz)は「日」を意味するこの日はゾロアスター教の新年の祝祭に由来するといわれ、古代ササン朝時代から今日まで中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で盛大に祝われている。

暦や計算技術の発達した現代でこそ正確な春分を誰もが容易に知ることができるが、古くは建築がその役目を負っていた。
様々な古代建築物に春分・秋分の日に特別な視覚的効果を与える仕掛けが残っている。
例えばイギリスのストーンヘンジ。未だ謎が多い古代遺跡として有名だが、石柱は北東-南西を向いており、春分には特定の石柱の間から朝日が登る配置となっている。
メキシコのククルカン神殿では、春分・秋分に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側に蛇の神ククルカンが身をくねらせた姿が現れるようになっている。
またローマのパンテオンでは春分・秋分の日の正午に光は垂直の壁面と丸天井の境にあるコーニス(軒蛇腹)を照らすという。
こうした工夫を凝らした建築は他にも世界各地に残されている。
当時、建築と太陽の光は、巨大なカレンダーでありコンパスであった。