「太陽の光と雲ひとつない青空があってそれを眺めていられるかぎり、どうして悲しくなれるというの?」


アンネフランク(1929年~1945年)は「アンネの日記」の著者として知られているユダヤ系ドイツ人の少女である。
隠れ家生活2年間の間に書き続けたアンネの日記は、1947年に初版が出版され、その後評判を得て60以上の言語に翻訳され、世界的ベストセラーになった。

アンネはドイツのフランクフルトに生まれる。父母はユダヤ系ドイツ人で3歳年上の姉がいた。反ユダヤ主義を掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握後、迫害から逃れるために4歳の時に一家でオランダのアムステルダムへ移住した。
第二次世界大戦後、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われるようになり、1942年からアンネ一家は隠れ家で暮らすようになる。しかし、1944年、ドイツ軍に隠れ家を見つけられてしまい、一家はナチス強制収容所に移送される。その後アンネは姉とともにベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送された。同収容所の不衛生な環境に耐えぬくことはできず、1945年チフスにより15歳で息を引き取った。

13歳の誕生日に父から贈られたサイン帳を、アンネは日記帳として使い、家族との葛藤や恋の悩みなどを記した。家族のうちただ一人生き残った父は、アンネの「戦争と差別のない世界になってほしいという」思いを世界の人に伝えるためアンネの日記を出版した。
アンネは小学校の頃はおしゃべりでじっと座っていられない陽気な女の子で女の子にも男の子にも人気があった。大人を喜ばせたり、慌てさせたりもしたが、誰からも褒められるような子供だったという。
そしていつも希望を失わず、強制収容所に連れていかれる電車の中でも窓の外の景色を楽しんだり、収容所での強制労働に従事していた時も同年の女の子とおしゃべりを楽しんでいたという。

アンネの書いた文をいくつか挙げてみる。

―希望があるところに人生もある。希望が新しい勇気をもたらし、再び強い気持ちにしてくれる。
あなたのまわりにいまだ残されているすべての美しいもののことを考え、楽しい気持ちでいましょう。
私は、死んだ後でも、生き続けたい。
苦しいことについては私は何も考えない。美しいことがまだ残ってるんだから。―

これらの文からアンネが強い心と冷静な目を持ち前向きに生きていたことが伺える。

太陽の光と雲ひとつない青空があってそれを眺めていられるかぎり、どうして悲しくなれるというの?

この言葉には、どんな環境にあっても悲観的にならないで、美しいもの明るいものに目を向けて楽しい気持ちを持ち、希望を持って生きていたアンネの心が表れている。笑顔で明るい太陽の光を浴びて青空を見上げている様子が目に浮かぶような気がする。
アンネの将来の夢は小説家になることであった。アンネの日記が出版され、多くの読者を得たことでその夢は叶えられたのではないだろうか。そして現在でもアンネの日記は読む人の心に響き、感動を与えている。そのことはアンネが「死んだ後でも、生き続けたい」と望んでいたように、アンネが人々の心の中で生き続けているとも言えるのではないだろうか。