「お前の光は、今、何処にある」


ウィリアム・シェークスピア(1564年~1616年)は、イングランドの劇作家、詩人、役者である。卓越した人間観察眼を持ち、豊かな心理描写により記された作品は、高い評価を受け、多くの国で翻訳されている。

シェイクスピアは裕福な家庭環境で育ち、18歳で結婚、その後俳優となり、28歳ごろから劇作家として活躍した。48歳ごろまでの20年間に約37編の戯曲を創作し、多くの傑作を残している。
その作品は、史劇、喜劇、悲劇、と幅広いジャンルにわたっており、四大悲劇として「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」がある。
今回の格言は「リア王」の中に出てくる言葉である。

リア王のあらすじは―三人の娘を持つ老王「リア王」は長女と次女の甘言にのって二人に領地を分配するが、裏切られて虐待される。フランス王妃となった誠実な末娘は父の救出に向かうが、戦いに敗れて絞殺され、リア王は悲嘆のうちに悶死する。―という心痛む悲劇である。
そして物語中、リア王の忠実な重臣であるグロスター伯爵はリア王を守ろうとしたことで両目を奪われてしまう。

 お前の光は、今、何処にある

この言葉はグロスター伯爵が両目を奪われた時に問われた言葉である。両目を無くし光を失ったことが分かっているグロスターにかけられたこの言葉には、どんな意味が含まれていたのだろうか。
自分を犠牲にしても尽くそうとするリア王への強い忠誠心を持っているグロスターは、たとえ目を奪っても彼の忠誠心や真心までもは奪うことはできず、心の光は失わないだろうことを相手は知っていてあえて問いかけたのではないだろうか。

そしてこの言葉は、苦境に立った時、絶望した時、「今自分にとっての光がどこにあるのか」と各人が考えることを促す言葉として広く格言として知られるようになったのではないかと思う。
リア王の物語は世界の不条理を過酷に描いていると言われている。確かに息を詰めるような展開がなされ、最後も救われないやるせない思いが残る物語である。しかし、後半、苦難にさらされる王達が苦しみながらも次第に人間世界の認識を深めていく過程が描かれており、感動を覚えるのは私だけではないだろう。
どんな苦境に遭遇した時も、慌てることなく、「今自分の光は何処にあるのだろう」と問いかけて、光となるものの存在を認識し、光が差し示す方へ強く歩み出してゆきたいものである。