「闇があるから光がある。そして闇から出てきた人こそ、一番ほんとうに光の有難さが分かるんだ。」

小林多喜二(1903年~1933年)はプロレタリア文学の代表的な作家、小説家。労働者の過酷な環境を描いた「蟹工船」で知られる。権力と戦う思想を最後まで捨てなかったプロレタリア文学運動の象徴的存在である。

秋田県の貧農の家に生まれ、苦学をして小樽高等商業学校を卒業し、北海道拓殖銀行に勤務する。少年時代から校友会誌などに作品を掲載し、同人誌も創刊していた。志賀直哉に傾倒し、社会科学の勉強も積んでプロレタリア文学へと進み、労働運動にもつながっていく。

25歳の時に「3・15事件」で検挙拷問された小樽の労働者群像を描いた「一九二八年三月十五日」という小説を書いた。特攻警察の残虐性を初めて暴露した小説として世間の注目を浴び、その後「蟹工船」「工場細胞」などを発表。

しかし小林の作品が天皇を頂点とする帝国軍隊を批判した内容であったために、26歳の時に銀行から解雇され、上京する。翌年、治安維持法違反容疑で5か月間入獄させられた。その後28歳で共産党に入党したが29歳の時にスパイの手引きで逮捕され、その日のうちに拷問されこの世を去った。

闇があるから光がある。そして闇から出てきた人こそ、一番ほんとうに光の有難さが分かるんだ。

―暗い闇があるから光がある。物事も暗い部分を知っているからこそ明るい部分のその明るさを感じることができる。不遇の境遇にあっても耐えていれば、いつかそこから抜け出して本当の幸せを知ることができる―

私達も辛い状況にあってもここで耐えて乗り越えれば希望という一条の光が待っていると信じたい。そしてこの苦境があるからこそ幸せという光の明るさを有り難く感じるものだと思えば辛さも軽減されるのではないだろうか。

2008年には「蟹工船」が再評価されて50万部以上のベストセラーとなり、2009年には映画化された。抵抗の精神と人間愛とに貫かれて描かれた蟹工船の世界が、単なる昔の話ではなくリアルタイムで進行している現代社会における様々な問題とリンクして現代人の心に響いたと言われている。

誰でもいつの時代でも暗い事象を人間は抱えることがある。しかし、「闇があるからこそ光があるということを心に留めて、希望や幸福という光に向かって自分を信じて歩み続けていこう」―そうこの格言は呼びかけている。