「ランプの光は、それが消えるまでは輝き、その明るさを失わない。それなのに君の内なる真理と正義と節制とは、君よりも先に消えてなくなってしまうのであろうか。」

マルクス・アウレリウス(121~180年)はローマ帝国の全盛期、五賢帝の最後の皇帝で169年から177年までローマを統治した。ストア派哲学者としても知られ、「哲人皇帝」とも言われた。著書「自省録」は現在でも多くの人に影響を与える書となっている。

マルクスはローマにおいて父方は貴族、母方は資産家という恵まれた家庭に生まれた。しかし3歳で父が他界し、敬虔と粗食をモットーとした母親の教育方針のもと家庭教師について真面目に勉強に励んで成長した。複数の家庭教師から受けた良質な教育が彼の中に「誠実と尊敬、愛」というものを育てていった。その後才能を示して時の皇帝ハドリアヌスの目にとまり、皇帝はマルクスをとりわけ目にかけたと言われいる。

彼が17歳の時皇帝ハドリアヌスが没し、その遺言で彼は新しい皇帝ピアスの養子となり、26歳の時ピアスの娘ファウスティーナと結婚し皇帝を助けて国政に参与するようになる。
161年に養父の皇帝ピアスが没しマルクスは同じくピアスの養子であったルキウスと共に共同統治として皇帝を継承する。しかしちょうどその頃平和であったローマに暗雲が差し始める。ゲルマン人の暗躍が始まり、中東のシリア方面でも原住民族との軋轢も生じ、また天変地異の災害がローマを襲う。さらに共に統治していた朋友ルキウスが病死してしまう。

その後一人でローマを背負って立つことになったマルクスは戦争に明け暮れる状況におかれ、自らも出征を繰り返していた。頑健ではなかった身体は病気がちになったがなお皇帝の責務である膨大な仕事をこなしていた。

「自省録」はマルクスがこの頃に書いたもので、人間として、あるいは皇帝という公人としていかにあるべきか、自らを省みて書いた「心の日記」とも言えるものである。その内容は自分自身に対する叱責や励まし、哲学的見解の書き付け、感謝や祈りというものであった。

ランプの光は、それが消えるまでは輝き、その明るさを失わない。それなのに君の内なる真理と正義と節制とは、君よりも先に消えてなくなってしまうのであろうか。

この格言は自省録に記されたものであり「君」というのは自分自身のことである。ともすればその苦悩にくじけそうになる自分に対して、生きている以上自分の持つ真理や正義、節制の心を失わずに理想を目指して進んでいくように、と叱責し鼓舞している言葉と言えるだろう。

マルクスは皇帝として自ら前線に留まり、次の闘いの準備中に58歳でこの世を去る。彼は皇帝として人民に寛容と自愛を示し、善政を施した皇帝であった。哲学を愛し、国政に心血を注いだその生涯は、高潔で人民に対する仁愛に満ちたものであった。

最後まで彼が誠実に皇帝としての責任を果たそうとして心の叫びを記した自省録は現在も出版されておりゲーテなどに大きな影響を与え今も人々に感動を与えている。そしてマルクスの自分の信念を失うことなく誠実に生きた生涯は輝く光を放ち、これからも多くの人に明るさを与え続けていくことだろう。