「我々の信念は、常に燃え続ける灯火でなければならない。それは我々に光明を与えるだけでなく、周囲をも照らすのだ。」

マハトマ・ガンディー(1869~1948年)は、インド出身の弁護士、宗教家、政治指導者であり、インド独立運動の指導者として知られている。
独立運動の際、「非暴力、不服従の運動」を提唱し、平和主義的手法として世界中に大きな影響を与えた。キング牧師、ダライ・ラマ14世などがそれぞれの立場から巨大な権力や政治的圧力と闘うことができたのはガンディーの思想が大きく影響していると言われている。

1869年ガンディーはインド西部のカチャワール半島に生まれる。父はその地方のいくつかの藩王国の宰相を歴任した人物であった。母は熱心なヒンドゥー教徒で信仰を持っており、ガンディーは生涯母を思慕し、菜食主義や断食などのヒンドゥーの教えを守ったと言われる。

ガンディーは18歳でイギリスに渡り、弁護士の資格を取り、帰国して弁護士の仕事をするが仕事にむかずに事務所を閉所する。1893年に南アフリカに渡り、そこで自身も人種差別を受けることで以後21年間インド系移民たちの法的権利を擁護する活動に励む。この時期の活動がその後の非暴力運動によるインド独立運動へと繋がっていく。

1915年インドに戻り、各地を巡りながら労働者の争議や農民の反税闘争を指導してインド民衆の心を掴み、大衆のリーダーとして成長していった。そして1947年のインド独立までの間に行われたガンディーによる「非暴力、不服従の抗議行動」はそれまでにはなかった形の抗議行動として海外から多くの賛辞がよせられ、ガンディーの名は一躍世界に知られるようになった。

ガンディーの念願であったインド独立の翌年、ガンディーは狂信的なヒンドゥー教徒にピストルで撃たれてしまう。ピストルで撃たれた時、ガンディーは自らの額に手をあててこの世を去った。その動作はイスラム教で「あなたを許す」という意味であった。

我々の信念は、常に燃え続ける灯火でなければならない。それは我々に光明を与えるだけでなく、周囲をも照らすのだ。

――自分の信念はゆるぐことなく常に持ち続け、光を与え続けなければならない。その光は私達に希望の光を与えるだけでなく、周りの人や社会までも明るく照らす光となっていくのだから。――
この格言は、インドでの30年あまりに渡る波乱に満ちた独立運動を自らが筆頭に立って指揮していたガンディーの心の中の信念を支えていた言葉だと思える。

差別を憎み皆が平等で平和な社会を求める心は幾たびかの辛い弾圧にも耐え偲んだ。ある時には目標達成のために断食という自分の命を削ったパフォーマンスまでを大衆のために捧げたガンディー。自身は金融資産も不動産も持たない生活をしていたという。

彼が身をもって示した非暴力、不服従の運動の姿勢は、今でも現代の世界各地の平和運動や人権運動に影響を与えている。世界はこれからもガンディーが目指していた平和主義の社会を求め続けていかなければならない状況にある。彼の生き様とこの格言はその運動をこれからも後押ししていく力となってその強い光を放ち続けていくのではないだろうか。