「太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く」

フリードリヒ・フォン・シラー(1759~1805年)はドイツの詩人、歴史学者、劇作家、思想家である。独自の哲学と美学に裏打ちされた理想主義、英雄主義、自由を求める不屈の精神が彼の作品のテーマとなっている。彼の求めた「自由」はドイツ国民の精神生活に大きな影響を与え、ゲーテと並ぶ古典主義の代表者となっている。

シラーは西南ドイツの小さな田舎町マールバッハに生まれる。キリスト教信仰に篤い両親のもとに育ち、幼少の頃から聖職者になることを夢見ていたが、13歳の時に領主によって進路の変更を余儀なくされて軍学校に入学し、法学を学んだ後、医学を学び卒業し、連隊付き医官に任命される。

15歳の時から戯曲の習作を書き始めた。22歳の時に匿名で発表した戯曲「群盗」が劇場で初演されて大評判となる。しかし領主の不興を買い、翌年亡命する。24歳の時に国民劇場付き詩人の職を得たが翌年解雇され、収入を失い窮地に陥る。その際、彼の戯曲に感動したというファンレターを送ってきたドレスデンのケルナーに連絡をつけ、彼から友愛の手を差し伸べてもらい窮地を救われる。

ケルナーとその周囲の人達はシラーの生活を以後全面的に支援してくれることになった。シラーはこの無償の温かな歓迎に感激して「歓喜の歌」を作り、友情の素晴らしさと自らの素直な喜ばしい心情を詠みこんだ。この詩こそが、後のベートーヴェンの交響曲第九番の有名な「喜びの歌」に使われているものである。ベートーヴェンはこの詩に出会った時、非常に感激し、30年後に第九の中に盛り込んだのである。

シラーは32歳の時にカント哲学を研究し以後それらを発展させて独自の哲学を育んでいく。自身の作品にその理論を反映させると共にカント美学を発展させて「人間の美的教育について」などを著し、ヘーゲルなどドイツロマン派文学に多大な影響を与えた。

35歳の時にゲーテと再会し、本格的な親交を結ぶようになり、手を携えてドイツ古典主義と呼ばれる文学様式を確立する。その後41歳ごろから代表的な戯曲を多く発表した。「メッシーナの花嫁」「ヴィルヘルム・テル」などである。「ヴィルヘルム・テル」は後にロッシーニによりオペラ化され、頭に載せたりんごを矢で撃つシーンは有名になっている。

シラーは長年病気を抱えながら活動をしていたが46歳の時に自宅にて永眠する。最後まで戯曲の執筆を試みていたという。

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く

─私達が生きる糧となる希望、心の中を照らす希望は太陽が輝いているかぎり、いつでも輝いて私達に生きる勇気を与えてくれる。

この格言は、「メッシーナの花嫁」の中に出てくる言葉である。太陽は私達に昼間は明るい光を届けてくれる。この太陽の光なしでは人間は生きられない大切な光である。雨の時や夜は太陽の光は見えなくとも、その存在は確かにあって時間がたって状況が変わればまたその光を見ることが出来る。

私達の希望も、時には儚いものとして見えなくなったり消えそうになったりすることがある。しかし、その存在をなくすことなく自身の心の中に光輝くものとして大切に持ち続けてゆきたいものであるとシラーは呼びかけているのであろう。

晴れた日に空を見上げれば太陽の光が明るく輝いて包んでくれる。どんな時でもあなたの心の中の空にも時には励まし、時には勇気づけ、時には癒してくれる存在としての希望が明るく輝き続けることを信じて力強く歩みを進めていこうではありませんか。