「太陽には太陽の輝きがあり、月には月のそして星々には星々の明るさがある。」

ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ(1746~1827年)はスイスの教育学者。ルソーの影響を受け、孤児教育や児童教育に一生を捧げた。

人間の諸能力の調和的発展を教育の目的とする彼の理念や実践は、近代西欧の教育界に大きな影響を与えた。実践に基づいた教育論を展開し、その教育法は明治時代、日本の教育にも「開発教授法」として取り入れられた。

ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチは1746年スイスに外科医の次男として生まれた。父が5歳の時に亡くなり、その後は母のもとで貧しい生活を送る。彼の恩領と慈悲深い性格は母親の影響を受けていると言われている。

牧師を目指してチューリッヒの大学に進学するが退学し、その後農業経営者と教育者を目指す。28歳で農園経営と貧民学校経営を試みたが経営に行き詰まり、廃業となってしまう。

しかしそれまでの経験を生かして近代的な教育原理と方法を見出し、自身の考えを唱えた著作を世に発表して教育界での名前を高めていく。

53歳の時にはシュタンツ村で孤児の子供達の施設の世話を委ねられ、その後私立小学校を開設し、「ゲルトルードはどのようにして、その子を教えたか」の著作を発表し、ヨーロッパ、アメリカの教育界に大きな影響を与えた。

その後、教員養成のための学園や当時珍しかった女子学校、聾唖学校を設立し、さらに自身の年金を投じて長年の夢であった貧民学校を開校した。晩年は著作と社会活動に没頭したが、1827年81歳で生涯を閉じた。

太陽には太陽の輝きがあり 月には月の そして星々には星々の明るさがある。

―太陽の明るくまばゆい輝き、月の静かで優しい光、そして様々な色や明るさで輝く星々、どれもそれぞれがそれぞれの光で美しく輝いている―

この格言には、子供達それぞれが持つ個性を認めながら、それぞれの才能や特性を伸ばすことの大切さを提唱したペスタロッチの思いが込められている。
彼の墓には「すべてを他人(ひと)のためにし、己には何ものも求めず」という言葉が書かれており、その言葉通りペスタロッチの人生は温かい眼差しと深い情熱を持って教育に全てを投じた生涯であった。



「ペスタロッチ」ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%81
ペスタロッチ解説
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