「われわれの偉大な光輝ある傑作は、立派に生きることである。それ以外のすべては、統治することも、富を蓄えることも、建物を建てることも、せいぜい付随的、副次的なものにすぎない。」

ミシェル・ド・モンテーニュ(1533~1592年)はフランスの思想家、モラリストである。彼が執筆した「エセ―」は自らの経験や古典からの引用をもとにした随筆で、ニーチェやパスカルなどの哲学者だけではなく、世界中の政治家や教育者に影響を与え続けている。

モンテーニュは1533年にボルドーのフランス法服貴族の裕福な家に生まれ6歳でボルドーのギイェンヌ学院に入学し、古典の教養を身につけ、ボルドー大学、トゥルーズ大学で法律を学び、21歳で父の後任としてボルドー高等法院裁判官を勤めた。

裁判官を38歳で辞任し、屋敷内の塔にこもって読書と思索にふける日々を送る。のちに48歳の時からボルドー市長を4年間勤め活躍した。

塔にこもっている時期に執筆を始めた随想録「エセー」は人間を率直に記すことを目的として書かれ、初版を1588年に刊行し、その後生涯に渡り加筆、改定を続けた。

エセーに記された名言に「クセジュ?」という言葉があり、これは「私は何を知っているだろうか」という意味でモンテーニュが常に自身に自問したとされる言葉である。

自らを正しいと思い込まずに常に物事を疑い、独断的な思考を避けながら真理を追い求めたモンテーニュのこの思想からは人間としての謙虚な姿勢が伺われる。

プロテスタントとカトリックが争うユグノー戦争が長期に渡っている事態に際し、同じキリスト教徒でありながら戦争を行っていることを悲しみ、その人脈を生かして双方の調停に努めたとされている。

その経験から、人間の愚かさや醜さを痛感し、現実を冷静に観察し、互いを認め合うモラリストとして寛容の精神こそが必要であると説いた。

れわれの偉大な光輝ある傑作は、立派に生きることである。それ以外のすべては、統治することも、富を蓄えることも、建物を建てることも、せいぜい付随的、副次的なものにすぎない

彼のこの言葉には真に価値あることは人間として自分自身に正直に生き抜くことであり、それこそが輝いて生きる姿であるという主張が込められていると思う。人の愚かさを知り尽くしたモンテーニュこそが辿り着いた言葉ではないだろうか。