秋の月

光はいつも かはらぬものを
ことさら秋の 月のかげは
などか人に ものを思はする
あゝなく虫も おなじこゝろか
こゑのかなしき

滝廉太郎作詞作曲「秋の月」
滝廉太郎は肺結核のため23歳で夭逝する。20歳という若さで書き上げたこの作品は、組歌「四季」のうち秋の情景を描写した曲である。「四季」のうち作詞まで瀧廉太郎が手掛けたのはこの曲のみ。

―光はいつも変わらないが、とりわけ秋の月はなぜか人にものを思わせる。ああ、鳴いている虫も同じ心だろうか。声のなんと悲しいことだろう…。―

秋はどうしてか思いを巡らせたくなる季節。古典、勅撰和歌集においても秋の歌は他の季節と比較して最も多い。
また、秋は一般的に収穫の時期で、豊さや恵みの象徴と言えうるが、勅撰和歌集で取り上げられる歌では豊穣の喜びよりも寂寥感を歌う歌が主だっている。これは取り上げた人物が農民ではなく貴族中心だったという構造や、彼らの年齢層による影響もあるかもしれないが、どこか人を物思いにふけさせる季節であるという認識はおそらく古来より人々の持つ共通した感性だったのだろう。光はつねに変わらないはずなのに、なぜ秋の月はこうも人の心を揺さぶるのだろうか…。

満月の明るさは大体0.2lxといわれている。夏と比べて日照時間が減り、幸せホルモンと呼ばれるセロトニンの分泌が減り始める秋の頃、明かりが十分にとれない時代の人たちの目には月の明かりがどう映っていたのだろう。啓蒙の光、畏敬の念…、想像することしか私たちにはできない。

2021年の中秋の名月は9月21日火曜日。現代にも残るこのもの悲しさ。今2021年の月で歌を詠むとしたらどんな作品ができるだろうか。盛りだけでなく、変わりゆく様々な表情の月とともに思索にふけるのがこの季節の楽しみだ。