江戸時代の生活と光13─浮世絵に見る光の表現法[夜桜]


今回は満月と吉原の夜桜を描いた作品を2作品取り上げる。

この作品は歌川広重「東都名所・吉原仲之町夜桜」である。

画面中央上部に大きく満月を描き、夜桜と仲之町のメインストリートを往来する人々を描写している。お茶屋の明かりと雪洞(ぼんぼり)の明かりが周囲を照らして明るい夜の風景となっている。

また、歌川国貞の「北郭月の夜桜」は当時の夜桜見物の様子を描写していて興味深い。

この絵は吉原(北隔月)の大門から見える仲之町の夜桜を描いている。この浮世絵は夜桜見物で提灯などの明かりが人々の楽しみを華やかに演出する光として使用されていたことが伺える作品である。桜の木には月と反対側にうっすらと影が描かれており、光の表現に工夫が見られる。
満月の明るい光と、門に設えた大きな提灯、お茶屋の上下の軒に並んだ提灯などの多くの光に照らされて満開の桜を楽しんでいる人々の様子は現代のライトアップの催しを楽しむ光景に重なる。
江戸時代、吉原のお花見は大きなイベントとなっており、不夜城と言われた吉原でのお花見は江戸の庶民たちの大きな楽しみであった。しかしこの桜が毎年お花見のために手間をかけて植えられた桜であったことをご存知の方は少ないのではないだろうか。
旧暦の3月1日になると植木職人が開花前の根付きの桜の木を吉原に運び込み、仲之町メインストリートに茶屋からの眺めも考慮して高さ調整をして植樹したという。そして桜が散ってしまう3月下旬までにすべての桜の木は再び植木職人によって抜かれた。245mに及ぶメインストリートには『江戸名所花暦』によると千本の桜を植えたという記録が残っている。光に照らされた美しく長い桜並木を歩く吉原の夜桜見物はさぞかし華やかな催しであったことであろう。

夜桜見物の楽しみは遠く江戸時代から現代まで続くものとなっており、上記の絵は提灯などの灯りが日本人の自然を愛でる行為にずっと寄り添って光を与えてきたことを感じさせるものとなっている。