江戸時代の生活と光4-2─光との関わり方(花火)


「花火」は平和な状態が続いた江戸時代に進化し、花火大会は闇夜に輝く光のイベントとして子供から大人まで多くの人が楽しんだ夏の風物詩である。

諸説あるが日本で初めて1613年に徳川家康が静岡県で花火見物をしたと言われている。その後遊びや鑑賞用の花火として広く日本で花火の製造、打ち上げが行われるようになった。

花火大会の始まりは1733年には前年に起きた「享保の大飢饉」と江戸市中で大流行したコレラにより多くの死者が出たため、時の将軍徳川吉宗が犠牲者の慰霊と悪疫退散を祈願して行った「水神祭り」の一環として行われた「両国川開き」での花火大会である。それ以降、両国川開きの花火大会は毎年恒例となり、現在の隅田川花火大会へと続いているのである。

当時の打ち上げ花火は20発ほどであり、花火の色はオレンジ一色であったと言われているが、江戸の人々は闇夜に広がる美しい光に熱狂し、多くの観客が集まった。また、川には屋形船が多数浮かび、川面を渡る涼しい風に吹かれながら花火鑑賞を楽しむ舟遊びが盛んであった。直接上がる花火を見るだけでなく、水面に映る花火を見ながらお酒を楽しむという風流な楽しみ方で花火を味わう人もいた。

打ち上げ花火だけではなく、線香花火などのおもちゃ花火も大人から子供まで楽しめる花火として庶民に楽しまれていた。その後、徳川家光の代に、火事を防ぐ目的から花火禁止令が出たが、江戸の庶民は花火という新しい光の娯楽を完全に手放すことはなく、最終的には隅田川の川筋と海岸という場所限定で花火の許可が出ることになったという。

江戸時代に日本で花火が生まれてから約400年、花火師たちの職人技から生まれた繊細で高度な技術が集結した日本の花火は現代では「世界一華麗な芸術美」とも称されるものとなっている。

日本の花火大会は河川で開催されることが多く、季節の花を愛でるようにどの方向からでも、同じ形状の花火が鑑賞できるようになっている。花火大会が現在でも日本全国で夏の光の祭典として盛んに行われていることは、花火が日本人の自然を愛でる感性に響き、闇の中に美しく輝くつかの間の光が多くの観客を魅了するからではないだろうか。

日本煙火協会
http://www.hanabi-jpa.jp/booklet2021/html5print.html?start=6&end=7&bookpath=.%2F&tegaki=off&c=1625635934
江戸ガイド
https://edo-g.com/blog/2016/06/summer.html/8
日本気象協会
https://tenki.jp/suppl/y_kogen/2015/08/21/6072.html
日本の花火大会は鎮魂の水神祭から
https://www.walkerplus.com/article/150566/