「勉学は光であり、無学は闇である」


ソクラテス(紀元前469年頃~紀元前399年)はプラトンの師にあたる古代ギリシャの哲学者である。父親は石工、母親は助産婦であった。
若い時は自然科学に興味を持っていたが、晩年は倫理や徳を重んじる自らの哲学を追求し、それを周囲の人々に説いて回ることを自分の使命であるとし、活動した。

ソクラテスは「ソクラテスより智恵のある者はだれもいない」というアポロンの神託(神のおつげ)がくだったことを友人から聞き、それを契機にして哲学的な思索を始めるようになった。
自分は智恵ある者などではないと考えていたソクラテスは驚き、神が偽りを述べるはずはないとして、疑問を持ち、真実を確かめることにした。
そして世間で智恵ある者だと考えられていた人達と会談を重ねた。しかし会談すると皆、自分を完璧な賢者と思っており無知な部分を持っていることなどを意識していなかったり、ある技術にたけていれば他の面では無知であっても賢者であると思っていることが分かる。

ソクラテスは「知らない事を知っていると思い込んでいる人よりも、知らないことを自覚している自分の方が賢く、知恵の上で少しだけ優れている」と考えた。
そして無知の自覚こそが智恵であり、真理の追求に向かって突き進むことができると考えるようになった。
これを「無知の知」という言葉で表し、「人は真理すべてを知ることができない。人間は無知だということを知るべきである。」と考えたのである。

彼はこうも言った。

「唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である」
「より善く生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ」

彼のいう知とは、単なる知識ではなく、善や美と表現されていることからも真実(善や美をも含む真理)を理解する能力を意味している。
そして智恵を愛し,単に生きるのではなく善く(よく)生きるためにはどうすれば良いのかについて彼は考究するようになった。
そして善く生きるように努め探求する活動を哲学と呼び、自らをフィロソフォス(愛知者=哲学者)と呼んだと言われている。哲学(philosofy)はsofy(知)をphillo(愛する)という意味である。
そして「善き生」と「無知の知」はひとつの円環を成し「無知の知」は「善き生」の必須条件となっていると考えた。
彼は、無知を人々に自覚させることが、神から自分に下された使命だと考えて積極的に啓蒙活動をする。

しかし、その啓蒙活動が誤解や反感を招き、国家の神々を否定して新たに別の神を信仰している罪や若者たちを堕落させたという罪を着せられて死刑判決を受けてしまう。
彼は死刑判決を受けたあと、無実だと主張する人々の助けによって脱獄や逃亡も可能だったが、死刑を受け入れて毒盃をあおって息絶える。死刑を甘んじて受け入れたのは、国家の法に従い、単に生きるのではなく善く生きるという徳を貫き、また死は恐れるものではないとして己の思想を主張し、体現したものだと言われている。
 

 勉学は光であり、無学は闇である

 
―知を学ぶことにより、闇の中で見えないものを見えるように照らす光を得ることができ、物事を認識して確実に歩みを進めていくことができる。知をおろそかにすると、暗い闇の中の見えない道を手探りで場当たり的に歩みを進めていかなくてはならない。―

この格言には、知の探求は人生においての真理の探究であるということを説くソクラテスの主張がこめられていると思う。

知を愛し求めることはそれ自体が目的であり、ソクラテスは身をもってそれを体現した。そして自分の命より大事なもの、それが真理であるということを人々に伝えながら処刑された。その後、処刑に賛成した人々は偉大な人物を処刑してしまったことを後悔したと伝えられている。
ソクラテスの人生は70歳で死刑により幕を下ろしたが、真理を追究し、より善い人生を求め続けたその生き方は光に照らされて輝きに満ちたものだったと言えるのではないだろうか。