「光の中を一人で歩むよりも、闇の中を友人と共に歩むほうが良い」


ヘレン・アダムス・ケラー(1880年~1968年)はアメリカ合衆国の教育家、社会福祉活動家、著作家。視覚と聴覚の重複障害者(盲ろう者)でありながら世界各地を歴訪し、障害者の教育、福祉の発展に生涯を捧げたことで有名。日本にも3度来日し、日本の障害者福祉の向上に寄与した。特に1949年の「身体障害者福祉法」の成立は彼女の功績が大きかったと言われている。

ヘレンは1歳9か月の時に病気で視覚と聴覚を失ってしまう。6歳の時にアン・サリバンが家庭教師となり、ヘレンに言葉と物の関係性を教え、全ての物に名前があることを教え、ヘレンの能力を開花させる。その後、サリバンは約半世紀にわたり、よき教師、よき友人としてヘレンを支えた。
サリバンが亡くなったのはヘレンが56歳の時だった。翌年ヘレンは日本に初来日して講演など積極的に活動した。しかし、ヘレンがサリバンの死を悼んで悲しんでいる姿を見て、ヘレンに日本の障害者支援体制の呼びかけを要請した岩橋武夫は、ある催しを企画した。ヘレンが訪問した夜の厳島神社で周囲の石灯籠すべてに灯りをつけてサリバンの功績を讃え、献灯供養をしたのだ。その時、秘書にその灯りの風景を指文字で説明してもらい、ヘレンは涙を流したといわれている。
2回目に来日したときにもヘレンは厳島神社を訪れ、その時に献灯した石灯籠はそれ以後「ヘレンケラー灯篭」と呼ばれている。
 

 光の中を一人で歩むよりも、闇の中を友人と共に歩むほうが良い

 
障害者として、光のない闇に生きていたヘレンは、闇をこう捉えていた。
―闇と沈黙の中でさえ、全てのものは驚嘆すべきものを持っています。私はどんな状況にあってもその中に充足があることを学んでいます―

この格言は、闇を単に苦しみ、悩み、不安に満ちたマイナスなもののみと捉えるのではなく、闇の中にも価値ある事柄を見つけることができ、闇の中でも友情という心の支えを伴って友人と共に生きることは素晴らしいことなのであるという、体験に裏付けされたヘレンの深い思いが込められていることを感じる。