「誰もの心に、何かに向かって燃える火があります。それを見つけ、燃やし続けることが、私たちの人生の目的なのです。」

メアリー・ルー・レットン(1968年~)は、アメリカ合衆国の元女子体操選手。1984年のロサンゼルスオリンピックにおいて、女子体操競技の個人総合タイトルを獲得した金メダリスト。

レットンは子供の頃にテレビで見たナディア・コマネチに影響を受けて体操を始めた。その後コマネチのコーチをしていたコーチにつき、国内ですぐに頭角を現して15歳でアメリカン・カップに勝利し、以後様々な大会で勝利を収めた。1984年のオリンピックの前に手術を余技なくされる膝の負傷を負ったが、オリンピックまでには回復し高校2年生の時にロサンゼルスオリンピックに出場した。

当時、オリンピックの女子体操は、ルーマニア勢の独壇場となっていた。しかしこの時レットンはルーマニアの選手と接戦を演じ、最終競技の跳馬で10点満点を出し、わずか0.05ポイント差で勝利し、アメリカに初めての女子体操のメダルをもたらした。レットンはこの大会で個人総合で金、団体総合と跳馬で銀、段違い平行棒とゆかで銅の5つのメダルを獲得し大変な人気者となったのである。

146センチの小柄な体ではあったが、演技は力強く「ゴムまり娘」というあだ名がついたレットンは愛くるしい笑顔で世界中の人々を魅了した。1985年のアメリカン・カップで先例のない3連覇を果たした後に現役を引退した。

もともと彼女は股関節形成不全症を抱えて生まれており、競技生活でその状態はかなり悪化し、痛みが増したため、30歳代半ばで左側の股関節を人口股関節に換える手術をうけている。また、彼女は過活動膀胱炎、関節炎も抱え、その症状に苦しむ日々であった。

誰もの心に、何かに向かって燃える火があります。それを見つけ、燃やし続けることが、私たちの人生の目的なのです。

彼女の言う燃える火は情熱とも置き換えられると思う。誰もが何かに対して情熱を持つことが出来るはず。それが何なのかを見つけ、その心の炎を燃やし続けて生きていくことが出来れば、それこそが生きていく目標になり、生きる原動力となる。
体操選手時代は数々の怪我を乗り越えて勝利を収め、引退後は病気と闘いながら様々な活動をこなしたレットンが放つこの格言は、華やかな演技の裏にあったであろう彼女の勝利への燃えるような心の炎の存在を連想させる言葉である。

自分を動かす心の中の熱い火、その火をいくつになっても燃やしながら生きていくことで自分の人生充実したものとすることができるのだろう。