「あらゆるものには輝くダイヤが隠されている。磨けば光る」

トーマス・エジソン(1847~1931年)はアメリカ合衆国の発明家、起業家。生涯に約1300もの発明と技術革新を行った。主なものは白熱電球、蓄音機、活動写真などである。

エジソンはオハイオ州で製材所の経営者である父と元教師である母のもとに7番目の子として生まれた。エジソンは少年時代、異常なほどの知りたがり屋で、教師と馬が合わずに小学校に入学してから3か月で退学させられ自宅学習をすることになった。

自宅学習では元教師だった母が教育をし、エジソンが理解するまで徹底的に教えた。そして家の地下室をエジソン専用の実験室として与え薬品などを買い与えた。母ナンシーの教育はエジソンの好奇心を満たし、彼の発明王としての基盤を培ったものだった。

エジソンは後に「母がいなかったら私は発明家になっていなかっただろう」と語っている。エジソンは母のお蔭で発明家として必要な知識や習慣を少年期に身に着けていったと言える。

エジソンが15歳の時に、マウント・クレメンズ駅で偶然列車に轢かれそうになっていた子供を間一髪で助けたことがきっかけで駅長から電信技術を学ぶことができ、電信技師として歩み出すことになる。そして、1877年には蓄音機の実用化で名声を得る。その後ニュージャージー州に研究室を設立し、電話、電気鉄道、白熱電球などの商品化を行っていく。

白熱電球において当時のフィラメントが短時間で燃え尽きてしまうものだったものをエジソンが日本の竹を用ることで長時間燃焼するものとして白熱電球を実用化したことは有名である。

あらゆるものには輝くダイヤが隠されている。磨けば光る。

この格言には、どんなものにも素晴らしい原石が隠されている。そしてそれを見出すこと、それを磨くことで原石は価値あるダイヤモンドのような宝石となって光輝くという意味がある。
エジソン自身、幼い頃小学校を退学となった自分に隠れていた才能を母が気付いて伸ばしてくれたことで発明家になれたという実体験を持っているからこそ生まれた格言なのではないだろうか。

エジソンは変わり者扱いをされて小学校を退学になった。それはまさに彼の知りたがり屋の好奇心や物事を多面的にとらえる思考方法などの良さを教師が見抜けなかったからと言える。教師がその存在に気付かなかった素晴らしい素質を母親が見出し、発展させ磨いたからこそ、希代の発明家が誕生した。エジソンは変わり者としての石ころから輝くダイヤモンドとなったのだ。

1931年エジソンは発明王の生涯を終えた。晩年になってもその発明に対する意欲は衰えなかったと言う。エジソンの発明における功績は現在でも高く評価され輝いており、これからもその輝きは途絶えることなく光輝き続けることだろう。