「光のすばらしい輝きはその影がなければ存在しえない。人生は一つの全体であって、善も悪も共に受け入れられねばならないのである。」 

ウィストン・チャーチル(1874-1965年)は、第一次世界大戦中から第二次世界大戦、戦後の冷戦時代にかけてもっとも著名なイギリスの政治家。ノンフィクション作家としても活躍し1953年、ノーベル文学賞を受賞した。

チャーチルは政治家の父のもとに生まれる。両親は政界、社交界の活動で忙しく乳母に育てられたチャーチルは思春期まで両親への強い思慕を持っていた。少年時代は、成績も品行も悪く問題児であった。
21歳の時に陸軍士官学校騎兵科に入学し以後エリートコースを歩む。インドや南アフリカで軍人生活を送り、1899年には南アフリカ戦争に新聞記者として従軍している。

しかし軍務は生涯の仕事ではないという考えとなり、1901年に保守党から立候補して下院議員となり、政治活動を開始した。次第に自由貿易主義をとるようになり自由党に転じる。しかし第一次世界大戦時に、ガリポリ上陸作戦での惨敗により失脚してしまう。一度は蔵相として返り咲くが常に好戦的で議会の和を乱しがちなチャーチルは次第に孤立し、官僚ポストに就くことはなくなっていった。

第二次世界大戦が勃発して危機が高まる中、1940年66歳で首相となる。自国のために立ち上がり圧倒的リーダーシップでイギリスを率いた。そして敗色濃いイギリスの国民を繰り返し鼓舞し、英国民を強く前に向かう気持ちにさせたことで英国の勝利に貢献した。当時の国民の首相支持率は88%であり、圧倒的な支持を集めていた。

英国を守るため打倒ヒットラーを掲げて昼夜を分かたず精力的に職務を遂行したチャーチルであったが、大戦後に世界における英国の地位は徐々に衰退していく。1945年に戦いは終わりイギリスは勝利を手に入れたが軍事的、経済的優位をアメリカに譲った形になってしまった。

大戦後の選挙ではチャーチルは首相の座を失うこととなってしまう。6年後には再び首相となるがチャーチルに以前のような勢いはなく4年後に後進に首相の座を譲る。権力の座を降りると次第に気力体力が衰えてゆき91歳の時にその戦いの人生に幕を下した。

光のすばらしい輝きはその影がなければ存在しえない。人生は一つの全体であって、善も悪も共に受け入れられねばならないのである。

―光がある所には必ず影がある。影があってこそその光が輝く。長い人生の中で体験する明るい部分と暗い部分、それぞれを受け入れてこそ光輝く人生を送ることが出来るのである

激動の時代を生き抜いたチャーチルの人生は、明と暗の部分を持つ浮き沈みのある人生であった。この格言は彼の体験から生まれた実感を伴う重みのある言葉として私達の心に迫ってくるように感じられる。国民のために情熱を捧げたチャーチルを想い心の琴線に触れる言葉として心に留めておきたい格言である。