「笑い声は太陽、人々の表情から冬を追い払ってくれる。」

ヴィクトル・ユゴ―(1802~1885年)はフランスのロマン主義文学を代表する詩人、小説家、政治家。彼は作品でこの世の善と悪、喜びと悲しみ、頂点と底辺の生活を描こうとした。彼の思想や哲学は世界に大きな影響を与え、彼の思想はトルストイに引き継がれ、それがやがて世界各国の独立運動に多大な感化を及ぼしていったと言われている。

ユゴーはフランス東部のブザンソンに生まれた。父親はフランス革命以来の軍人で母親は資産家の娘であった。20歳の時には処女詩集を出版し、高く評価されてルイ18世から年金を受けるようになる。その年に結婚し、その後発表した数々の作品は評判も良く、生活も安定していった。

43歳の時に貴族院議員になり、政治活動にも身を置くようになる。政治家としてのユゴーは死刑廃止や、教育改革、社会福祉などについての改革を主張した。
その年から「レ・ミゼラブル」の執筆を始める。46歳の時に二月革命が起き、もともとは共和派ナポレオンを支持していたが、次第に民主的傾向になっていく。

ユゴーが49歳の時にナポレオンがクーデターを起こして独裁体制を樹立し、反対派への弾圧を開始した。その頃、反ナポレオン派になっていたユゴーも弾圧対象となり、ベルギーへと亡命を余儀なくされた。そしてその後の亡命生活は実に19年間に及んだ。亡命中に中断していた「レ・ミゼラブル」の執筆を再開し、60歳の時に出版して大好評を得る。

1870年、ユゴー68歳の時にナポレオンが失脚し、ユゴーはフランスに帰国する。その後も精力的に執筆を続け、83歳で他界した。葬儀は国民的英雄の扱いで国葬となり、200万人の人が凱旋門に集まり、別れを惜しんだ。

笑い声は太陽、人々の表情から冬を追い払ってくれる。

―どんな苦しい境遇にあっても、笑顔と笑い声が太陽のように暖かく私達を包んでくれる。辛さや苦しさを忘れさせてくれ、暗い気持ちを明るい気持ちにさせてくれる―

ユゴーは慣例に縛られるのを嫌い、自由を愛した。そして他者の自由も自分の自由と同様に大事にした。多くの迫害に遭いながらも不屈の信念を持ち、生涯民衆の魂を鼓舞し続け、悪にはどこまでも厳しかったユゴー。人間を信頼し、自由を追求し、権力や権威と戦う信念の人であった。
ともすれば挫けそうになる心を奮い立たせて自らの信念に従って行動した彼のメッセージは20世紀の世界像の形成に大きな影響を与え、そして今もその篤い思いは作品を通じて多くの人々の心に訴えかけている。