「人生の嵐の中で虹であれ 雲笑い飛ばし、予言的な光線で明日を色付ける夕暮れの光の筋」

ジョージ・ゴードン・バイロン(1788~1824年)はイギリスの詩人、政治家。通称バイロン卿と呼ばれ、ゲーテに今世紀最大の天才と賞賛された詩人である。当時の偽善と偏見を嘲罵し、ヨーロッパ諸国の文学に多大な影響を与えた。

バイロン卿は1788年ロンドンの北欧系貴族の家に生まれた。10歳で第6代バイロン男爵となる。ケンブリッジ大学に入学するが途中退学した後、地中海沿岸諸地方を2年間旅行し、その経験をまとめて「チャイルド・ハロルドの巡礼」という抒情詩として出版する。この本は初版が3日で売り切れるほどの大評判となり、瞬く間に人気のある詩人として認められる。

後に上院議員に任命されて政治の世界でも活躍し、結婚をしたが、結婚は1年で別居という形になり続かなかった。またバイロン卿の生活には醜聞が絶えなかった為、人々の批判によって社交界から締め出されてしまい、彼はスイスへ移住することになる。

その後ヨーロッパを転々として遊蕩生活を送る中で、彼の最高傑作と言われる
「ドン・ジュアン」という16編からなる諷刺詩を発表する。この作品の第14編では「事実は小説より奇なり」という有名な言葉を残している。

バイロン卿は1823年、ギリシャ独立戦争に関心を持ち、私財を投じてギリシャの独立軍部隊に資金援助を行うと共に自らも戦闘に参加すべく翌年ギリシャに向かった。しかしギリシャにおいて熱病にかかり36歳の若さでこの世を去った。
彼のこの行為により今もバイロンはギリシャ独立の恩人としてギリシャ人たちから深い尊敬の念を寄せられているという。

人生の嵐の中で虹であれ 雲笑い飛ばし、予言的な光線で明日を色付ける夕暮れの光の筋

―様々な困難に満ちた人生の中で、その困難を大したことではないと問題にせず、希望に溢れる明日を予感させる夕暮れの美しい虹のような存在になろう―

彼の死後、その作品をテーマにして多くの芸術家が作品を制作している。「チャイルド・ハロルドの巡礼」はベルリオーズが楽曲にし、ターナーは絵画を残している。また、彼の他の作品をシューマンやチャイコフスキー、ヴェルディ、ドニゼッティらが楽曲化している。

36歳という短い人生の中で著したバイロンの作品は多くの人に影響を与えた。その生涯こそが短い時間で儚く消えていくが私達に希望を与える虹のようなものであったと言えるのではないだろうか。



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