「雲の向こうは、いつも青空」

ルイーザ・メイ・オルコット(1832~1888年)はアメリカの小説家。彼女が姉妹と暮らした少女時代をもとにした半自伝的小説「若草物語」は現在でも多くの人々に愛されている。他に短編集など生涯に200を超える作品を残した。

オルコットは1832年にアメリカのペンシルベニア州で4人姉妹の次女として生れ、元気はつらつで冒険心に溢れた子供であった。父親は哲学者、教師、作家、教育思想家、改革論者、超絶主義者であった。父親は自らの思想に基づいて実験学校を創設したり実験的共同生活を試みたりしたが、いずれも成功せず、家族は貧困に苦しむ生活を長い間送った。

オルコットは14歳の時に次のような自分の人生の計画を立てたという。それは「父には平和と日当たりの良い部屋を、姉のアンナには幸福を、病身のベスには看護を、そしてメイには教育を自分の力で必ず与えよう」というものであった。
その決意を表すかのようにオルコットは18歳の頃から教師、お針子、家庭教師、家事手伝いなど様々な仕事をこなして家計を助けた。その一方で、著述活動を行い、16歳の時には雑誌に記事を掲載し始め、20歳の時には小説を初めて出版した。

ボストンで幼稚園の先生をしていた南北戦争中には従軍看護婦に志願し、北部の病院で負傷兵の看護にあたった。しかし看護中にチフスにかかってしまい、帰郷を余儀なくされる。オルコットはこの時以後、心身共に様々な病変に悩まされることとなる。

36歳の時に「若草物語」を執筆し、出版するとたちまちベストセラーになり、経済的に豊かな生活を送ることができるようになった。その後も若草物語の続編や短編集など意欲的に作品を執筆する。

しかし体調は悪化し、父を看取った2日後に55歳でボストンにて永眠する。

雲の向こうは、いつも青空

—人生において先が見えないような困難な状況に陥ってしまうことがある。そのような不安や苦しみに襲われた時、その向こう側にはいつも希望が広がっていることを忘れないで—

家族を支えなければとの思いで一家の大黒柱として働き、両親の面倒をみたり、亡くなった妹の子供を育てたりしたオルコット。そして従軍看護の際に罹患したペストに使用した薬の影響で水銀中毒となり体調の悪化に苦しみながらも亡くなるまで多くの作品の執筆を続けた。

オルコットはこの格言のような心の支えが胸にあったからこそ先にあるだろう希望を胸に困難に耐え、家族のためにつくし、そして最期まで執筆活動を続けることができたのではないだろうか。



ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88
オルコット紹介

オルコット


オルコット年譜
http://www.misheila.sakura.ne.jp/alcott-note.html