「お前の心から暗黒を放逐(ほうちく)し、不自然でもかまわぬ、明るい光を添えて見ろ。」

太宰治(1909~1948年)は日本の小説家。左翼運動からの離脱、複数回の自殺未遂、薬物中毒など波乱に満ちた人生を送った。坂口安吾などと共に反道徳性、反リアリズム、曲折した文体や批評精神が特徴である「無頼派」の代表作家とされる。主な作品に「走れメロス」「斜陽」「人間失格」などがある。

太宰は明治42年に青森県に大地主で財産家の家に生まれる。幼少期は母親が病弱のために乳母や叔母に育てられた。小学校では6年間首席という優秀な成績を残し、特に作文力に優れていた子供であった。

14歳の時に父と死別し、その年に中学校に入学して下宿生活を始める。読書家で17歳の頃には同人誌を発行して作家を志す。18歳の時に旧制弘前高校に入学するが心酔していた芥川龍之介の自死に衝撃を受けたり懸賞小説に落選したことの影響もあり20歳の時に自殺を図る。

21歳には東大に入学したが芸者との結婚を希望して実家から除籍扱いとなり、自殺を図る。22歳の時に最初の結婚をするが28歳の時には薬物中毒が深刻化し自殺を図り、妻と離婚する。周囲の勧めで29歳で見合い結婚をし、その後は落ち着いた生活となり、それまでの作風から変化して明るい雰囲気の作風の作品を執筆した。この頃の作品に「走れメロス」があり優れた作品として評価が高い。

38歳には「斜陽」がベストセラーになり作家としての地位を確かなものとした。39歳で過労と乱酒により結核が悪化したが、妻の献身的な看病のもとで「人間失格」を執筆する。「人間失格」は人生の破綻を描いた彼の自伝のような作品であり、この作品からは彼の人間不信と虚無感、そして堕落的な状況に浮かぶ人間の滅びの様に美を感じる刹那的な性格を伺うことができる。そしてその年に女性と共に玉川上水に入水して生涯を閉じた。

感受性が強く人間を信用することに強い抵抗感を感じ、常に情緒不安定であった太宰治。彼は常に温かい愛情を求め、愛情を感じていないと落ち着かないような面があった。そしてその突飛な行動は周囲の人を驚かせ眉をひそませたが、反面どこか面倒をみてあげたくなるような面も持っていた人でもあったようである。

お前の心から暗黒を放逐(ほうちく)し、不自然でもかまわぬ、明るい光を添えて見ろ。

太宰の作品は、現代においても彼の繊細な感受性、死への恐怖と憧れ、などに多くの読者から圧倒的な支持と共感を得ている。桜桃忌にはまた多くの人が墓参に訪れることだろう。




・ウィキペディア
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