「知識は愛であり光であり、未来を見通す力なのだ。」

ジョアンナ(アン)・マンズフィールド・サリバン・メイシー(1866~1936年)はヘレンケラーの家庭教師。通称「サリバン先生」の名で知られている。

サリバンは1866年にアメリカのマサチューセッツ州の貧しい家に生まれる。3歳の時に視力障害を起こすトラコーマという目の病気になる。父は農民であったがアンが9歳の時に母親が亡くなるとアンとその弟を孤児院に預けて姿を消してしまった。

その後、弟が亡くなり、アン自身は目の病気が悪化して視力を失ってしまう。アンは自分のおかれた悲しい状況に極度のうつの精神状態となってしまうが、キリスト教の教えにより立ち直ることができた。14歳でパーキンス盲学校に入り、首席で卒業する。また、手術と訓練の結果視力を回復することができた。

盲学校卒業の翌年に、ヘレンケラーの家庭教師となる。その後ヘレンケラーと共に人生を歩み、70歳でこの世を去る。アンが視覚聴覚障害者であるヘレンケラーを教育したことは広く世界に知られており、その功績は多くの人に称えられている。

アンがヘレンと会った時はヘレンはしつけも何もできていない手のつけられない状態の子供であったという。しかしヘレンはアンの教えを得るようになってからわずか1か月で物には名前があるということを理解し、そこからヘレンの知識はどんどん増えていったことが伝えられている。

人生から太陽が消えたからといって泣いてしまえば、その涙で星が見えなくなってしまう。

アンの教育は「言語の学習は知識の獲得と一致する」という信念のもと、ヘレンに物の名前を教え、様々な事に興味を持たせ、その知識欲を満足させながら多くのことを教え導いていくものであった。
この格言はアンのヘレンへの愛情深い教育法の基にあった信念を表す言葉として深い意味と重みを感じさせる言葉である。

参考資料
http://torikai.starfree.jp/bio/sullivan.html