「芸術は太陽のエネルギーだ。経済原則のギブ・アンド・テイクは成り立たない。陽光のごとく無制限に、エネルギーを放出し、怖いほど与える。」

岡本太郎(1911~1996年)は日本の芸術家。作品は絵画、彫刻、建築、舞台、家具などのプロダクトデザインなど多岐にわたり、ピアノ、スキーも得意とし活動の幅は非常に広かった。

岡本太郎は1911年、神奈川県川崎市に漫画家の父と小説家の母のもとに生まれた。慶應義塾大学幼稚舎に入学し18歳で普通部を卒業後は東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科に入学するが1学期で退学する。

その年に父母の渡仏旅行に同行したのち、フランスで約10年間過ごすことになる。パリでは多くの芸術家とも交流し、展覧会にも出品を重ねた。その間にパリ大学において哲学、民俗学を学び、その研究に没頭した。その時の体験が「芸術は商品ではない」「芸術は無償、無条件であるべきもの」「芸術とは全人間的に生きること」という芸術観を熟成したと言われている。

31歳の時に第二次世界大戦となり、中国に出征し4年後に帰国した。戦争で実家は焼け、彼の作品もすべて焼失してしまった岡本は帰国後はアトリエを構え制作に励んだ。

彼は様々な作品を生み出したが、1968年、「光る彫刻-生誕」を制作した。これは彫刻に光を当てて形を引き立てるのではなく、彫刻そのものが内側から光るという画期的な作品であった。天井から吊るされた照明装置でもあった。

1970年開催の大阪万国博覧会に制作された「太陽の塔」は万博修了後は取り壊しの予定だったが、市民の保存運動により万博記念公園に保存されており、今日では高度成長期の日本を象徴する建造物となっている。

岡本は1995年、パーキンソン病による急性呼吸器不全により84歳で死去した。葬式を望んでいなかったことに配慮してお別れの場として「岡本太郎と語る広場」が開かれ生涯に残した絵画が数多く展示された。

彼の有名な言葉「芸術は爆発だ。」とは「全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと」と彼は語っている。そして「人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべき」であり、それが人間本来の生き方だとしている。

芸術は太陽のエネルギーだ。経済原則のギブ・アンド・テイクは成り立たない。陽光のごとく無制限に、エネルギーを放出し、怖いほど与える

―万物の生命の源である太陽のように芸術は生きる力を与えてくれる―

彼のこの言葉からは芸術の持つ大きな力を認識させられる。

岡本の作品や言葉が目の前に立ちはだかる閉塞感を切り裂いてくれるものとして生前の彼を知らない現代の若者達にも人気があるという。彼の作品は彼が目指した価値ある芸術作品としてこれからも多くの人に影響を与え、その作品は光輝き続けることだろう。




・ウィキペディア
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