「目の前の仕事に集中せよ。太陽光線も一点に集中しなければ、発火しないのだから。」

アレキサンダー・グラハム・ベル(1847~1922年)はスコットランド生まれの科学者、発明家、工学者。生涯を通じて様々な発明を行ったが、特に電話を発明し、世界に広めた者として知られている。

ベルは1847年スコットランドのエディンバラに生まれる。父は発声生理学を専門とする大学教授であった。ベルは幼少期から好奇心旺盛で植物標本の採集や実験に熱中する子供であった。製粉を営む友人の家のために脱穀機を開発して喜ばれたりしていた。

彼が12歳のころから母親が聴覚障害となり、ベルはその影響で手話を習得し、音響学を学ぶことになる。

16歳の時に学生として学びながら弁論術と音楽の教師の職につく。エディンバラ大学に入学し、音響伝達についての研究を続けた。

23歳にカナダに移住し、25歳でボストンに視話法を教育する学校を開校した。26歳でボストン大学で発声生理学と弁論術の教授になる。しかし教師活動と研究活動という激務のために健康状態が悪化してしまい、やむなく教師を辞めて音響活動に専念することとする。

その後も「1本の導線で複数の高さの音を送る方法」の研究を続け、28歳の時に特許を申請し3日後には電話の実験に成功した。30歳で電話会社を創業し今日の電話の普及の礎を築いたと言える。

科学全般に興味を持っていたベルは電話の開発後も多種類の製品の開発に挑んだ。体内に埋め込まれた金属を発見する金属探知機、水中翼船や光を使って音や声を送る「フォトフォン」などの開発をした。

フォトフォンは光のビームで音声を伝送する通信機器であり、信号を変調された光で伝えるものであった。ベル本人は生涯最高の発明と語っていたが、天候や光の不足などの要因でフォトフォンは実用化はされなかった。ベルは人工的な光源、恒星、黒点のスペクトル分析へのフォトフォンの利用を考えていたと言われており、今日実用化されているレーザーや光ファイバーによる通信などは予想できなかったとはいえ、光を通信に応用利用することの高い将来性を予見していたという。彼は光に関する優れた着眼点を持っていたと言えるのではないだろうか。
晩年まで実験に励んだベルは75歳の時に長く患っていた糖尿病に起因する合併症でその生涯を閉じた。

目の前の仕事に集中せよ。太陽光線も一点に集中しなければ、発火しないのだから

何事にも真剣に取り組み、そして生涯を実験と開発に捧げ、電話という人間の文化最大級の発明を成し遂げたベル。上記の言葉は彼のその研究姿勢の根幹にあった信念を表しているのではないだろうか。


・参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB