「太陽が輝いているとき、私は何だってできる。高すぎる山は無く、克服できないほど困難な問題も無い。」

ウィルマ・ルドルフ(1940~1994)は、障害を見事に克服して金メダリストとなり、「黒い真珠」と呼ばれたアメリカの黒人陸上競技選手である。
ウィルマは、1940年テネシー州のスラム街で22人の子供のうちの20番目の子供として、体重約2キロの未熟児で生まれた。4歳の時に、猩紅熱に肺炎を併発して重体となり、一命を取り留めたものの、左足の小児麻痺で歩けなくなり、このまま一生歩けないだろうという診断が下された。
母親は、ウィルマが再び歩けるようになることを目標に、病院に遠路通院しながら、医師の医学療法的指導に基づいて、年上の3人の子供と交替で毎日彼女の足のマッサージを行った。その甲斐あってか、ウィルマが8歳になると下肢補助装具を付けて歩くことができるようになり、12歳で脚は完治することができた。
「決してあきらめてはいけません」と言う母親の強い励ましを受けながら、ウィルマはあきらめずに障害を克服しようと強い気持ちで回復への日々を努力して過ごしたという。
スポーツの才能に秀でていたウィルマは、中、高校生時代には、バスケットボールの選手として活躍し、高校ではチームを州の優勝へと導いた。
その後は、陸上競技に転向し、1956年16歳の時にオリンピックに出場し、4×100mリレーで銅メダルを獲得した。1960年のローマオリンピックでは100m、200m、4×100mの3つの金メダルを獲得し、その驚異的な速さと均整の取れた走りで世界中の人々を魅了した。アフリカ系アメリカ人女性として、史上初の短距離3種目制覇により「世界最速の女性」との称号が与えられた。
22歳で引退後は教師、コーチ、コメンテーターなどを務め、54歳の時に脳腫瘍によりこの世を去った。
「太陽が輝いているとき、私は何だってできる。高すぎる山は無く、克服できないほど困難な問題も無い。」
――この格言は、太陽の光を希望の光として受けながら、「競争相手は自分」という考えを持ち、前向きな姿勢で高みを目指して常に努力を続けたウィルマの強い意志を表している――
強い信念をもって懸命に闘う姿勢により、困難を乗り越えて成功を収めたその人生は、多くの人に勇気と希望を与えた。アメリカの女性スポーツ財団は毎年、困難な状況にも負けずに素晴らしい功績をおさめた女性アスリートに「ウィルマ・ルドルフ・カレッジ賞」を授与している。
金メダルと共にまばゆい光で光輝く人生を送ったルドルフの生涯は、これからも尊敬や称賛と共に後々までも語り継がれていくことだろう。


