「文明の広がりは火に例えられるかもしれない。まず微かな火花、次に揺らめく炎、そして強烈な火炎と、速度と強度が増加していく。」

二コラ・テスラ(1856~1943年)は、セルビア系アメリカ人の発明家、電気技師、機械技師である。長距離の送電を可能にしたほか、無線通信やエネルギー伝達についての研究で有名である。彼の多岐にわたる発明品や設計図の総重量は数トンにも及ぶといわれており、2003年にユネスコ記憶遺産に登録されている。
テスラは1856年にオーストラリア帝国(現在のクロアチア)で生まれた。父親は正教会の司祭で詩人、母親は調理器具の発明をする人物だった。
テスラは幼少のころから優秀な成績で、特に数学では飛び抜けた成績を収めていた。1875年にグラーツ工科大学に入学したが、父親の死により、授業料を支払うことができなくなり、やむなく中退することになる。
1881年ハンガーのブタペスト国営電信局に就職し、仕事をしながら大学在学中に着想した「交流電流」方式の活用方法の研究を続けた。
1884年28歳でアメリカに渡り、トーマス・エジソン電灯会社に入社した。エジソンは直流電力事業を展開していたが、テスラは交流による電力事業を提案した。その後、ステラは交流方式を成功させたがエジソンとの確執により、会社を退職し、1887年にテスラ電灯会社を設立し、同年、交流システムの特許を出願した。
その後も多くの発明を発表、研究したが、1943年にマンハッタンのホテルで冠動脈血栓症により86歳で死去した。その死後今日までも彼の功績は高く評価されており、テスラにちなんだ命名、顕彰が世界に多数存在している。アメリカの電気自動車メーカー「テスラ」は、創業者であるTwitter社のCEOイーロン・マスク氏がテスラへの称賛をこめて命名している。
文明の広がりは火に例えられるかもしれない。まず微かな火花、次に揺らめく炎、そして強烈な火炎と、速度と強度が増加していく。
彼は、金銭的な問題で大学を中退せざるを得ず、会社勤めをしながら自力で研究を継続した。就職後はエジソンとの確執で職業を失うと、自ら会社を創設して、自分の発明や研究の有用性を世界に発信し、証明し続けた。
テスラは、エジソンの直流電流論と対立しながら交流の送電方法を世界に広めたいという夢を持ち続け、ついに交流電流方法を確立してその有用性と安全性を世界に示し、次第に世界の人々に認められていった。
常に困難な状況に陥っても、くじけることなく、新たな自分の道を探し出し、その道を切り開いていったその強い行動力の裏には、この言葉に表されたような新しい文明の実現とその広がりを見据えて進んでいく強い信念があったことが感じられるのである。
・ウィキペディア
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