「人間の奥底に光を送ることこれが芸術家の使命である。」

ロベルト・アレクサンダー・シューマン(1810~1856)は、ドイツの作曲家。作品は、文学的な感性と革新的な音楽表現が特徴で、ロマン派音楽の発展に大きく貢献した。ピアノ曲、歌曲、室内楽、交響曲などの分野で数多くの名作を残し、音楽評論家や指揮者としても活躍した。

シューマンは、1810年にドイツのツヴィッカウで書籍商、出版業を営む父親のもとに生まれる。音楽や文学に造詣の深かった父親の影響で、シューマンは幼少期より、ピアノや文学に親しみ、7歳のころには小さな舞曲を作曲し、周囲の注目を集めていた。

その後ピアノ演奏や作曲を続ける傍ら、詩や戯曲を書いたり、雑誌に短文を掲載するなど多才な才能を発揮した。ライプツィヒ大学の法科に進んだが、音楽家への道を選び中退する。当時母親に送った手紙には「冷徹な法学を好きになれない。」と心情を記していた。

ピアニストを目指していたシューマンだが、22歳の時に大きな挫折を味わう。右手の指を痛め、ピアニストの夢を諦めざるをえなかったのである。これ以後、彼は作曲や評論に専念するようになる。

1840年30歳の時に、長年希望していながら叶わなかったピアニストのクララとの結婚が実現し、シューマンにとって幸せに満ちた日々が訪れる。

しかし、1842年ごろからシューマンは、うつ症状や幻聴などの精神障害に悩まされるようになる。その症状は、過酷なものだったが、これらの苦悩が彼の深い感情表現や斬新な音楽構造を生み出すことに繋がったともいわれている。

音楽活動を続けていた1853年に、自宅を訪れたヨハネス・ブラームスの演奏を聴き、シューマンは「暗澹とした日々に一筋の光を与えてくれた。」と言ってその才能を称えた。ブラームスは、以後忠実な弟子となり、彼が亡くなったあとも残る家族の支援を続けた。

シューマンは1854年には耳の痛みや痙攣発作を起こし、川へ入水自殺を図るも救助された。そして自らが望んで精神病院に入院し、2年後に46歳でこの世を去った。

「人間の奥底に光を送ることこれが芸術家の使命である。」

――人生の中では、絶望や苦難に打ちひしがれて生きることが辛くなるような日々を過ごす時がある。そんな時に芸術は心の奥に希望の光を灯し、前に向いて歩いていくエネルギーを与えてくれる。芸術家はその重要な使命を担っているのである。――

シューマンは、自身が精神障害に苦しむ中、ブラームスの演奏に救われたと述べたように、芸術のなせる業を強く感じながら生きていた。この格言からは、彼の芸術に対する畏敬の念を感じることができ、芸術家たる者への賛美とエールが読み取れるのではないだろうか。

彼は、心の葛藤や内面の豊かな感情を詩的なイメージとして音で表現することに力を注いだ。その作品はこれからも多くの人に深く愛され、感動と生きるエネルギーを与え続けていくことだろう。

参考:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3