「太陽は数本の木や花のためではなく、広大な世界の喜びのために輝いている。」

ヘンリー・ウォード・ピ―チャー(1813~1887年)は、アメリカの牧師、著作家、社会改革者、演説家である。奴隷制度廃止を支持し、女性参政権運動の指導者でもあった。
ピ―チャーは、1840年アメリカのコネチカット州で13人兄弟の8番目の子として生まれた。母が3歳の時に亡くなり、その後父が再婚した継母は厳しく、ピ―チャーにとり、抑うつの発作の対象となったという。父は教会の説教師で、兄弟姉妹には、教育者や活動家となった者が多く、特に姉のハリエット・ピ―チャー・ストウは「アンクル・トムの小屋」を著して国際的な名声を得ている。
ピ―チャーは、幼少期には吃音があり、そのため知恵遅れとされていた。14歳の時、寄宿制の学校で演説の訓練を始め、大衆の前で演説をすることの醍醐味を知り、牧師への道に進んだ。34歳でニューヨーク市ブルックリンプリマス教会の第一牧師となる。
彼の演説はユーモアのある形式ばらない言葉を使うことにより、多くの聴衆の心をつかみ、ピ―チャーは国内でも最大級に人気のある演説家となった。南北戦争の際には、当時の大統領エイブラハム・リンカーンがピーチャーを演説者として高く評価し、ヨーロッパの講演旅行に派遣し、北軍側への支持を訴えさせたという。
また、ピ―チャーは当時の社会的な問題の多くに関わるようになり、奴隷制度廃止を支持し、禁酒運動を推進し、女性参政権運動の指導者としても活躍した。著作も多く、農業雑誌などいくつかの雑誌の編集をしたことでも知られている。
しかしその反面、既婚であったにも関わらず女性との自由な交際から複数のスキャンダル事件を起こし、裁判にもかけられたことがあり、いろいろな意味で注目を集める人物であった。
64歳の時に、脳卒中を起こし、2日後に眠ったまま亡くなったが、その人気ゆえ、全国で追悼の説教が行われたという。
「太陽は数本の木や花のためではなく、広大な世界の喜びのために輝いている。」
――太陽は、すべてのものに等しく光を与えているからこそ木や花は輝いている。目の前の細かなことに行き詰ったり、悩んだりした時には、太陽の光が大いなる愛情で広い世界を照らし輝かせていることに思いを馳せて、自分という枠に囚われずに太陽の光の中に希望や喜びを見出していこう――
ピ―チャーは、社会改革家として社会的に活躍し貢献したが、家庭的には恵まれない生涯であった。そして、人間の罪深さよりも神の絶対的な愛を強調し、「人間は楽しみのためにできている」と述べた。この格言は、彼の内なる思いから、この世界を輝かせている太陽の光のような大きな愛を感じて喜びをもって生きていこうというメッセージのように思えるのである。


