「目を星に向け、足を地につけよ。」

セオドア・ルーズベルト(1858~1919年)はアメリカ合衆国の軍人、政治家で第25代福大統領、第26代大統領である。作家、ハンター、探検家、自然主義者としての顔も持つ。精力的に外交、内政、および世界政治で果たした役割は大きく、アメリカ人初のノーベル平和賞受賞者である。

ルーズベルトは1858年にアメリカのニューヨークで生まれた。父はガラス輸入商社を営んむ裕福な家庭だった。しかし幼い頃から喘息持ちで虚弱であったため父の勧めで10歳からボクシングを始めて体を鍛え、アウトドアスポーツにも熱中した。19歳では柔道を学び、アメリカ人初の茶帯取得者となる。また、ルーズベルトは「武士道」に関心があり、日本人の持つ勇気、忍耐、慎み、礼儀、名誉、忠誠などに共感したと言われている。

21歳でハーバード大学を卒業後22歳でニューヨーク州議会議員に選出され政治家としての活動を開始した。25歳の時には、同じ日に母と出産直後の妻を失い、失意のもと、ノースダコダ州に移り、牧場主となり、2年間カウボーイと共に酷暑酷寒の中で自らに厳しい労働を課して心身を鍛錬して過ごした。ニューヨークに戻ってからは市警察の腐敗と戦い、名声を得る。

41歳で副大統領となり、翌年、大統領の暗殺に伴い昇格しアメリカ史上最年少の大統領となる。1905年には日露戦争で日本とロシアの間の調停を務め、停戦からポーツマス条約での和平交渉に尽力した。この功績が評価されて1906年にアメリカ人として初めてノーベル平和賞を受賞する。

53歳の時に大統領選に落選し公職を退く。炎症性リウマチで闘病した後、60歳で死去。

目を星に向け、足を地につけよ。

―高い理想、希望に向かってしっかり足は地面を踏みながら歩みを進めよう―
ルーズベルトは独占資本を規制し、アメリカ経済を自由放任主義から革新主義と呼ばれる社会改革に導いた。外交においても「こん棒外交」と呼ばれる強引な方法で様々な問題を解決し、彼の果たした功績は大きい。多くの肩書を持ち他方面で活躍し、強力なリーダーシップを発揮して「強いアメリカ」を実現したルーズベルトは多くのアメリカ人から支持され尊敬を集めた偉大な大統領として人々の記憶の中で輝いているのである。