「風からも光る雲からも、諸君にはあたらしい力が来る」


宮沢賢治(1896~1933年)は、日本の詩人、童話作家。その作品は、人間の生き方の根源的なテーマが込められており、現代においても多くの読者を惹きつけている。代表作「雨ニモマケズ」は闘病中に手帳に記されたメモであるが、彼が理想とする「他人のために尽くす人間」を描いた詩として読む者の心を打つ作品となっている。

宮沢賢治は1896年、岩手県花巻市で質屋を営む家庭に生まれた。小学校時代は成績優秀であり、中学校では、鉱物採集や星座に熱中する一方、短歌の制作を行っていた。

19歳で盛岡高等農業学校に入学し、卒業後は研究生として土性調査を務める。22歳の時に肋膜炎を発症してしばらく静養し、家業を手伝いながら小説を執筆する。

25歳で花巻農学校の教諭となり、5年間勤務する。この時期は戯曲や作詞、作曲などの制作にも励み、賢治が人生で一番のびのびとして心豊かな時間を過ごすことができた期間であった。

農業学校を依願退職した賢治は、百姓としての生活を一人で始める。そして農民の日常生活を芸術の高みへと上昇させようという考えのもと、肥料相談、農業や芸術の講義などに奔走する日々を送った。

風からも光る雲からも、諸君にはあたらしい力が来る

―風や光る雲から来る自然の力が、君たちの新しい力となってくれる―

人間が自然や動物と共生して生きていくことの大切さを提唱していた賢治の考えがこの格言には反映されている。

賢治は1933年に急性肺炎を患い、体調が悪い中でも農民の肥料計画の相談などに対応していた。そして37歳という若さでこの世を去った。

賢治の生涯は「全世界の人々が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という思想を根幹にしており、自分よりも周りの人々の幸福のために生きた生涯であった。

人間の生き方の理想を自ら追究し、それを豊かに表現した彼の作品の数々は、これからも人々に愛され、いつまでも光輝き続けることだろう。




・ウィキペディア
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