「人間は誰もが胸のなかに、宝石となる石を持っている。一生懸命磨いて、美しく光り輝く玉になる。」


空海は密教を体系化し、真言宗を開いた平安時代初期の僧。没後に「弘法大師」と命名された。書道の名人として著名であり、多くの優れた詩文を著した文人でもあった。また、教育や社会事業においても偉大な功績を残し、日本の文化全般に寄与した人物である。

空海(774~921年)は、香川県讃岐に生まれた。 12歳から儒学を学び18歳からは大学で歴史、詩文、算術、法律などを幅広く学んだ。しかし大学在学中に仏教に興味を持つようになり、大学を中退して20歳で出家し、修行を積む。

31歳の時にはさらなる学びを求めて遣唐使船で唐に渡る。唐では密教以外にも様々な分野の経典や土木技術、薬学などを学んだ。

2年後に密教の書籍、仏像、法典、曼荼羅などを携えて帰国し、密教を体系化し、真言宗を開祖した。そして修行の場として高野山に真言宗本山、金剛峯寺を建立する。

48歳の時には四国の満濃池の修復を行う。満濃池は700年頃に作られた農地用のため池であったが、洪水で堤防が決壊し、朝廷が修復作業にあたっていた。しかし、なかなか工事が進まなかったため、幅広い知識と技術を持つ空海に朝廷から修復作業の依頼がくる。その期待に応えるべく、空海はそれまで2年かけても完了していなかった工事を2か月という短期間で完了させたのである。

55歳の時には、庶民のための学校を創設した。そこでは、仏教、法律、工学、医学、天文学、音楽などあらゆる種類の教育が行われ、貴族や官僚子弟などのみを対象にしていた教育を庶民にまで広めることに貢献した。

多方面で活躍した空海だったが、「私が世を去っても嘆き悲しまず信仰せよ」との言葉を弟子に残し、62歳で高野山にてその生涯を閉じた。

人間は誰もが胸のなかに、宝石となる石を持っている。一生懸命磨いて、美しく光り輝く玉になる。

この格言は
―自分自身の内面を磨くことが大切であり、同時に誰でもが努力すれば光輝く素晴らしい人間性を持つ人間になることができる―
との励ましを与えている言葉であろう。

空海ゆかりの霊場は「弘法大使霊場」とされ、「四国八十八か所」を始め全国に存在し、現在でも多くの人が巡礼している。彼の志は時代を経てこれからも連綿と受け継がれていくことだろう。


・ウィキペディア
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