「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の振動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要があるのです。」

ポール・セザンヌ(1839~1906年)は、後期印象派の代表とされるフランスの画家である。いわゆる印象派の画風から離れて独自の絵画様式を探求した。その画風は、ピカソなどキュビスムの画家たちに根底的な影響を与え、「近代絵画の父」と呼ばれている。

セザンヌは、フランス南部、エクサン・プロバンスの裕福な銀行家の家庭に生まれた。父の勧めで大学では法律を学ぶが画家への夢を捨てきれず、22歳でパリに行き、独学で絵を学ぶ。しかし5か月ほどで故郷に戻り、父の会社である銀行を手伝う。しかし再び画家を目指してパリに行き、ピサロに師事する。そこで印象派の画家たちと出会い、印象派の影響を受け、第一回印象派展に出品する。

その後、彼は、瞬間的な色調の変化やその場の雰囲気を伝えようとした印象派の絵に不満を感じるようになっていく。そして、堅牢な量感を持ち、強靭さをとどめる絵画を目指す方向に向かい、印象派の画家たちとは距離を置くようになっていった。

セザンヌは故郷プロバンスに戻って制作を続け、知覚の心理について探求し、自然や人間を単純な形で描くことや、多角的に見て描くことを試みた。

果物の静物画を見ると一点からではなく、複数の角度からの視点で描いており、多くのゆがみが表現されている。そのゆがみがあることで、描かれた物が圧倒的な存在感を持って見る者に迫ってくる絵となっている。

風景画では、サント・ヴィクトアール山の連作を描き、この連作から情景を目がとらえる実体感を残しつつ構築性のある絵画を実現するという革新的な絵画の様式を確立した。この様式は、キュビスム、フォービスム、そして抽象絵画へと20世紀絵画の成立に大きな影響を与えることになった。

1906年、野外での絵画制作中に雨に打たれたことによる肺炎により61歳でその生涯を閉じた。

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の振動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要があるのです。

―自然の存在感を描くには、形態をしっかりと捉え、堅牢な構図で描かなければならない。対象を幾何形体に分解して扱いなさい。そして自然は奥深いもので、空気を感じさせる青色を使うことで光と三次元の奥行を表現するのです―

セザンヌが生涯をかけて生み出した革新的な作風は、これからも見る人の心に感動を与えていくことだろう。


・ウィキペディア
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