江戸時代の生活と光9─あかり(5)


江戸時代、ろうそくは高価であったが再生ろうそくなどが普及してろうそくが安価に手に入りやすくなると、庶民にも携帯用あかりとして「提灯」が普及するようになった。

提灯は、火袋の中にろうそくを立てて持ち歩けるようにした灯火具で初期のものは竹かごに紙を貼ったものであった。行灯に比べて明るく、灯油のように油がこぼれる心配もなく軽くてたたむとコンパクトになるという便利さで普及し、使用目的によって形や大きさの異なる多種多様な提灯が生まれた。様々なタイプの提灯は商号や家紋などの文字や絵を書き入れてシンボルとしての役目も果たしていた。

ぶら下げて持ち歩きができる「ぶら提灯」、武士が馬に乗る際に両手が自由に動けるように腰に差して使用する「馬上提灯」、長い竿の先に提灯をつけた「高張提灯」などがある。

高張提灯は始めは武家で使用されていたが、その後火消や芝居小屋、遊郭などでも使用されるようになり、現代ではお祭りなどで使用されている。

またたたむと上蓋が下蓋にかぶさり丸い箱のようになる「箱提灯」があった。箱提灯の種類には吉原の遊女の送迎に使用した「太夫提灯」や旅のアイテムとして便利な「小田原提灯」あった。

小田原提灯は懐中電灯の原型とも言えるもので、旅人が携帯しやすいように工夫された箱提灯である。使用しない時は蛇腹をたたんで胴の部分が上下の蓋に収まるようになっており、懐などに納めることができる。

また、通常の提灯に比べて中骨が平型で、紙との糊代面積が大きいために剥がれにくく雨や霧に強く丈夫で、また作業工程が簡単なため、安価であった。当時は携帯用としてだけでなく、机の上に置いても使用されていたとも言われており、江戸時代の人々が手軽にあかりとして小田原提灯を生活の中で利用していたことが伺える。

ガスや電気による照明の発達で提灯の需要は減少していったが、現代でも儀式や祭事などで提灯は利用され、伝統的なあかりの持つ温かな光が人々の目を楽しませている。