「私はあまりに深く星を愛しているがゆえに、夜を恐れたことはない。」

ガリレオ・ガリレイ(1564~1642年)はイタリアの物理学者、天文学者。ガリレオは自然現象に対して、数学的手法および思考実験を用いて迫り、実験によって検証するというそれまでにない方法を新たに確立した。その結果、科学は飛躍的な進歩を遂げたため、その功績を讃えてガリレオは「近代科学の父」と呼ばれている。

ガリレオ・ガリレイは1564年にイタリアのピサで誕生した。父は貴族の出身で呉服商を営んでおり、数的な記述・分析を重視する手法を用いて音響学の研究をしていた。後にガリレオが数的な手法で運動研究を行うようになったのはこの父の影響があると言われている。

17歳でピサ大学に入学したが学資不足のために退学し、後にピサ大学の数学の教授を経てパドヴァ大学で幾何学、天文学、数学を教える。

45歳の時に望遠鏡を製作し、世界で初めて天体観測を行う。木星の衛星、月面のクレーター、金星の満ち欠け、天の川が星の集団であること、などを発見する。また、太陽の黒点について出版しコペルニクスの地動説が正しいことを主張する。

地動説は当時の守旧派に危険視され、多くの妨害を受け、52歳の時に第1回異端尋問を受けた。そしてローマ教皇庁検邪聖省から地動説を唱えないように注意を受ける。その後69歳の時には第2回異端尋問で有罪判決を受け、生涯投獄を宣告されるが、直後に軟禁に減刑された。

晩年のガリレオは職を失い、経済的に苦境に立たされて体調を崩し、さらに看病に勤しんでくれた長女を病気で失ってしまう。73歳の時には片目を失明し、翌年残る片目も失明して全盲となってしまう。しかし研究は続け、77歳で生涯を終えた。

私はあまりに深く星を愛しているがゆえに、夜を恐れたことはない。

―星と共に存在する暗い夜は、意味のあるものであり、それがあるからこそ星は美しく輝く。星の希望としての輝きの素晴らしさを私は強く愛しているからこそ夜の闇を恐れたことはないのだ。―
晩年に両目の視力を失ったガリレオ。失明してからも研究は続け、弟子や家族に手伝ってもらい、口述で文書を著したという。きっと光を失ったガリレオの心の目には光輝く星が美しく映っていたことであろう。だからこそ自分が置かれた暗い世界に恐れも臆することもなく命を終えるまで引き続き真理の探究者として研究を続け歩み続けることができたのではないだろうか。

ガリレオの死後から350年たった1992年、教皇の委員会がガリレオの有罪判決はバチカンの誤りであることを正式に認めた。

彼の多くの研究による業績はこれからの人類の未来へと繋がり、その輝きをさらに増していくことだろう。