江戸時代の生活と光3─光との関わり方(生活)


今回は江戸時代の光との関わり方を考えるのにあたり、江戸における庶民の生活はどのようなものであったのかについてみてみる。

江戸の街は武家屋敷が全体の約70%、寺社地が15%、町人地が15%となっていた。幕府から町人に与えられた所有地を「町屋敷」とし、町屋敷が20~30ほど集まって「1町」を構成していた。

町屋敷は通りに面した表長屋と通りに面しない裏長屋とで構成されていた。そして各町の出入口には木戸が設けられており、日の出と日没に開閉し不審者の侵入を防止していた。

表通りに面した表長屋には比較的裕福な小商人が住み、多くの庶民は裏長屋に住んでいた。
表長屋は土間付きの四畳半の店舗の奥に八畳間、台所があり、日当たりも良かった。裏長屋は棟割り形式の平屋が一般的で、六畳一間の広さが住宅の基本であった。入口の土間や煮炊きをするへっついと呼ばれる空間があるため、実際に部屋として使用できるのは四畳半であり、窓はなく日当たりは悪かった。※1

江戸時代の庶民は、高級な菜種油は利用できないため必要に応じて低価格の魚油を灯りに使っていた。しかし魚油はすすや臭いが出るため室内の環境は快適なものではなかった。武家や遊郭などでは高価な菜種油やろうそくを灯りに日常的に利用し、夜遅くまで灯火のもとでの活動が行われていた。

灯りを自由に使うことのできなかった江戸の一般庶民の人々は必然的に太陽の光に準じた生活となり、日の出と共に起き、日の入りと共に就寝するという生活リズムが基本であったようである。地方の農家などでは、囲炉裏で燃やす火が照明の役目も果たし、囲炉裏端で家族が夜遅くまで団らんしたり内職したりすることが可能であったと考えられる。

※1 江戸庶民の暮らし http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-8.html#:~:text=%E3%80%8C%E9%95%B7%E5%B1%8B%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E4%B8%80,%E4%BA%BA%E3%81%8C%E4%BD%8F%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%82