「痛みと喜びは、光と影のように交互にやってくる。」

フローレンス・ナイチンゲール(1820~1910年)はイギリスの看護師、病院及び医療制度の改革者。近代的看護技術を開拓し、また近代的病院建築スタイルの基礎を築いた。「ランプの貴婦人」「白衣の天使」などと呼ばれている。

1820年にナイチンゲールは両親の3年間の新婚旅行中にイタリアフィレンツェで誕生した。家が裕福だったため当時の女性としては珍しく幅広い分野の高等教育を受けて育った。16歳の時に慈善奉仕活動をしたいという思いを持ち、看護への道を志す。そして家族の反対を押し切り、31歳でドイツの学校で看護師の勉強を始める。その後、病院の運営などについて学び、英国各地の病院の状況を調べ、専門の教育を施した看護婦の必要性を訴える。

34歳の時にシスター、看護婦合わせて34名の仲間と共にクリミア戦争の野戦病院に赴き、兵士の看護活動に2年間従事する。その間、衛生管理と健康管理の徹底を励行し、病院の死亡率を42%から2%まで減少させることに成功した。

ランタンを持って病院内の夜間の見回りを怠らなかったナイチンゲールは「ランプの貴婦人」と呼ばれ、その後その名はイギリス中に広まりランプを持ったナイチンゲールの人形が制作されるほどの人気を得たという。

40歳で著書「看護覚書き」を出版する。また、「ナイチンゲール看護学校」を創立し、近代的な看護教育を行った。しかしこの頃から健康を害し、日常をベット上で送る生活となってしまう。しかし亡くなるまで精力的な執筆活動によって医療改革に尽力し続けた。

43歳の時に「病院覚書き」を出版する。この中には、患者一人における療養空間、窓やベッドの配置方法など病院建築における様々な考案が理論的に記述されており、その内容は今日の病院建築の原点を示すものとして病院建築の専門家の間で高く評価されている。

晩年は両親と姉の看病をし、81歳で失明し、87歳には女性で初めての勲章を受けた。そして90歳でロンドンの自宅において静かにその生涯を閉じた。

痛みと喜びは、光と影のように交互にやってくる

―たとえ苦しみや痛みに嘆く時があっても、影あるところには必ず光があるように、その苦しみや痛みから解放されて喜びに満ちた幸せな時が必ずやってくる―

この格言は長年医療看護に携わったナイチンゲールの実体験から生まれた言葉であろう。いずれ来るだろう喜びの時を目指して励んでいこう、と病気や痛みに苦しむ人々に対して投げかけたナイチンゲールの思いやりに溢れた励ましを含む言葉ではないだろうか。

近代看護の制度と職能の確立を通して、誰もが健康的で人間らしい生活を送ることができる社会の仕組み作りに貢献したナイチンゲールの生涯は、これからも人々の心に語り継がれる光輝く生涯だったと言えるだろう。




・ウィキペディア
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