「一度でも愛する人の顔に幸福が輝くのを知ると、人は、一人の人間にとって、自分の周囲の人々の顔にこのような光をかきたてること以外には、別の使命感を抱くことが出来なくなる事を知る。」

アルベール・カミユ(1913~1960年)はフランスの小説家、劇作家、哲学者。1957年に史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞した。

カミユは1913年当時のフランス領アルジェリアに農業労働者の父と聴覚障害のある母のもとに生まれる。1918年に入学した小学校の教師にカミユの才能を認められて進学を勧められ、奨学金を得て高等中学校に進学する。

高等中学校ではアルバイトをしながらサッカーに励み、成績も優秀であった。また、教師ジャン・グルニエに出会い、その著書に触発されながら文学への道を志すようになる。17歳の時に重症の結核を患い、この後、結核は生涯を通じてカミユの健康を脅かすものとなってしまう。

アルジェ大学文学部に入学し、23歳で初めて自伝的エッセイを出版し、25歳で人民戦線寄りの新聞の記者となる。平和主義を唱え続けたが、27歳の時に反政府活動を理由にアルジェリアを追放された。

29歳で「異邦人」34歳で小説「ペスト」を刊行し幅広い読者を得て小説家としての名声を得る。これらの本の中でカミユは人間の運命の不条理と運命に反抗して自由を求める人間の尊厳とを説き、残酷な運命を前にしての人間の行動を描き、連帯の必要性を主張した。

43歳の時に「鋭い真摯さをもって、今日、人間の意識に投げかけられる諸問題に光をあてた」功績によりノーベル文学賞を受賞する。その後47歳の時にパリ郊外で乗車していた友人の運転する車の事故でその生涯を閉じる。

カミユは人間の不条理を追求し、生涯を通じて生の意味を探し続けた。徹底した孤独の中で、嘆くこともなく恨むこともなく、ただ内なる自分の声に耳を澄ませて、人々の生命のきらめきを最上の価値としていたカミユ。

一度でも愛する人の顔に幸福が輝くのを知ると、人は、一人の人間にとって、自分の周囲の人々の顔にこのような光をかきたてること以外には、別の使命感を抱くことが出来なくなる事を知る。

―人間が幸福を感じている表情には輝きがあり、その幸福はかけがえのないものである。不条理に満ちたこの世界の中で愛する人たちに幸福を感じる光を与えることが出来るのなら、人はその目的のための誠実な努力を惜しまないだろう―

この格言が表していることこそが彼の様々な活動の原動力になっていたのではないかと思えるのである。




・ウィキペディア
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