「時々、私たち自身の光が消えた時、他の人の火花によって、元気になることがあります。私たちは自分の心に火を灯してくれた人々に深く感謝したいものです。」

アルベルト・シュバイツァー(1875~1965年)はドイツ系の神学者、哲学者、音楽学者、医師、オルガニストなどの肩書のあるヒューマニスト。赤道アフリカのガボン(当時はコンゴ)に病院を建設し住民の救済に尽力して「密林の聖者」と言われた。その医療活動の功績や平和活動が評価され、1952年にノーベル平和賞を受賞した。

シュバイツァーは1875年にドイツ領であったアルザスで牧師の家に生まれた。実家は比較的裕福であり恵まれた環境で育ったが、幼い頃から社会の不条理な貧富の差について認識し、幼いなりに悩み、貧しい人達に対する気遣いを持つ子供であった。

幼少の頃からピアノ、パイプオルガンを習い、演奏家としては後にパリのバッハ協会のオルガニストを務めるほどの腕前となり、演奏家として晩年まで活躍した。

21歳の時に「30歳までは学問と芸術を身に着け、30歳からは世のために尽くす」と決意し、ストラスブール大学で哲学博士、神学博士の資格を取得し、神学科の講師となる。

30歳からは医学部に入学して学び、38歳で医学博士の学位を取得した。そしてアフリカのガボンに赴き、医療活動に従事したが第一次世界大戦により一時活動を中断する。ヨーロッパ各地で演奏活動を行い医療活動に必要な資金を調達し、戦後再びガボンでの活動に励んだ。

41歳の頃からは「生命への畏敬」という生き物を深く愛し、生命そのものを大切にするという概念を広めつつ世界平和を訴えていった。この概念は、シュバイツァーの人道的活動の基となっている。

77歳の時にそれまでの献身的な医療活動が評価されてノーベル平和賞を受賞し、

82歳からは核反対運動にも参加し平和を訴えた。晩年までガボンでの医療活動やオルガンの演奏を続け、90歳で死去しガボンの地に埋葬された。

時々、私たち自身の光が消えた時、他の人の火花によって、元気になることがあります。私たちは自分の心に火を灯してくれた人々に深く感謝したいものです

シュバイツァーは幼い頃から博愛の精神を持ち、生涯を通じて人々の幸せに貢献しようとする想いや情熱の火の光を心の中に灯していた。そしてその内なる光を原動力に医療活動を行った。しかしその活動中に、戦争や莫大な病院建設の費用調達や赤痢の流行などに医療活動を阻まれたり、押し寄せる多数の患者の診察に疲労困憊したりなど多くの困難に遭遇した。そのような時に心の火が消えそうになったり消えてしまったこともあっただろう。

しかしその時、彼の心に火を灯してくれたのは周りの人達の支えであり協力であったことがこの格言から伺える。様々な困難に遭った時にそれを乗り越える光を心に灯してくれた人々へのシュバイツァーの溢れるような感謝の気持ちが感じられるのである。

シュバイツァーの功績を讃えると共に奉仕の精神や生命への畏敬の概念をこれからも私達が語り継いでいくことで、彼の目指した真の世界平和の実現に繋がることを期待したいと思う。




・ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC

・参考
https://www.tamagawa.jp/introduction/enkaku/history/detail_11035.html