「私は神の特別な光のなかで生き、そして愛す。」

ミケランジェロ(1475~1564年)はイタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人、社会活動家である。制作した彫刻は約40点、その他に4面の大壁画などの絵画や建築作品を生み出し、約300編にも及ぶ詩作も残している。その作品は身体的リズム、心理的な洞察、比類なき迫力に満ちており、当時の人々から彼は「万能の人」と呼ばれ、偉人として畏敬の念を持って見られていた。

ミケランジェロはイタリアのフィレンツェに生まれた。6歳の時に母が亡くなり、13歳の時に画家に弟子入りし、14歳の時に早くも画家として認められる。

21歳の時にローマに呼ばれ、翌年、ピエタ像の制作をする。大理石を彫ったこの像は人間の潜在能力の発露であり、彫刻の限界を超えた「奇跡」と評され、天才彫刻家の名声を得てミケランジェロの名前は広く知られるようになる。

29歳の時に旧約聖書に登場するダビデ像を力強く精神性にあふれたヒーローとして制作し、彫刻家としての才能、技量、創造力への評価をゆるぎないものとする。37歳からは4年間をかけてシスティーナ礼拝堂の天井画、「創世記」を制作し高い評価を得る。

60歳からは祭壇壁画「最後の審判」を6年かけて制作する。この作品は13.7m✕12mの大画面をほぼ一人で制作したもので、個人で描いた絵としては最大のものとなっている。69歳の頃には大病を患ったが、その後も制作意欲は衰えず作品制作に励み、死の6日前までノミをふるっていた。

その最後の作品は未完の「ロンダニーニのピエタ」で、死せるイエスが生けるマリアを背負って立つポーズとなっている。晩年のミケランジェロの信仰、芸術、哲学の結晶した境地を示す作品と言われている。1564年、ミケランジェロは88歳の生涯を閉じた。

私は神の特別な光のなかで生き、そして愛す

ミケランジェロは生涯独身で経済的には裕福であったのにも関わらず、私生活は質素であった。また、孤独を好み、人と付き合うことは避けていたようである。

生涯をキリスト教の作品制作に捧げたミケランジェロ。その心は孤独であったが、彼はいつも神の光に包まれていることを感じ、そして神に関わる作品を完成させるという使命感と情熱を持ち続けて制作に没頭したのではないだだろうか。

この言葉は、彼の孤独でいながら信じるものに導かれて真摯に生きた姿を示す言葉として彼の作品同様、私たちの心に響いてくる言葉である。




・ウィキペディア
ミケランジェロ・ブオナローティhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%96%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3 – Wikipedia