光と陰の世界で生まれ変わるもの─シャンパン「歴史」

結婚式や祝勝会でシャンパンが飲まれることは今や世界的な恒例となっている。

シャンパンはいつ頃生まれたのであろうか。今回はその歴史をみてみる。
紀元前にローマ帝国の領土の一部であったシャンパーニュ地域にローマ人からワイン造りが伝わった。当時は赤ワインが造られていた。

12世紀になるとこの地の修道院によるブドウ栽培とワイン製造が行われるようになり、修道院によるワインの研究開発が進んでいった。

赤ワインの産地であったシャンパーニュ地方では樽に入れて保管されているワインに時折泡が発生するのが悩みであった。シャンパーニュ地方は冷涼な気候のため、ブドウの収穫を晩秋に行うと発酵する酵母が冬の寒さで活動を停止してしまい、翌春になってから発酵を再開すると、泡が生じて微発泡性のワインができることとなる。当時は、ワインに泡が生じることは避けたいこととされていたため、生産者にとって微量の泡でも悩みの種であった。

17世紀後半、修道院のワイン食料貯蔵庫長であったドン・ペリニヨンは泡のないワインを造ることに施行錯誤し黒ブドウを軽く絞ることで白いワインを造り、泡を少なくすることに成功した。そして複数の収穫年のリザーブワインを混ぜることで味の安定化を図り、シャンパンが生まれる道筋を開いた。

また、当時シャンパンをガラス瓶に入れた形で輸入していたイギリスでは瓶の中でワインが二次発酵して出来た泡入りワインであるシャンパンが貴族階級の間でもてはやされるようになる。泡のあるワインに華やかさを感じて人々が求めるようになったのである。その求めに応じて意識的に瓶の中で二次発酵させて泡を生じさせる現在のシャンパン製法が生まれ、シャンパンの誕生につながっていくのである。

18世紀中ごろにはシャンパーニュの発泡性ワインは「コルクの飛び出すワイン」と呼ばれ、フランス宮廷で大流行となった。

シャンパンの飲み手は1788年のフランス革命により貴族から革命家たちに移っていった。フランスを統治したナポレオンは大のシャンパン好きで出征前には必ずシャンパーニュに立ち寄りシャンパンを飲んで出発したと言われている。
ナポレオンの失脚後、ナポレオン戦争により混沌としたヨーロッパ国境を是正すべく1814年に開催された「ウィーン会議」では大量のシャンパンが振舞われた。シャンパンの魅力に魅せられた各国の代表は、祖国に戻ってからもその味を忘れがたく、これを機にシャンパンは一気にヨーロッパ諸国へ広まっていくことになる。

1818年には瓶内二次発酵の際に発生した酵母の滓を瓶口に集めて澱を取り除く方法が登場し、1844年にはコルク栓を留める針金と留め金ミュズが発明された。これらの発明と産業革命の進行によってシャンパン生産は産業としてさらに大きく発展していく。

1800年代半ばになるとイギリス人が食事中にも飲める甘くないシャンパンを好み、今日私達が飲んでいる辛口シャンパンが誕生する。1908年にはシャンパンの産地を規定する政令が発令され、シャンパンのブランド化が確立された。

第二次世界大戦中は膨大な量のシャンパンがドイツ軍に没収されてしまった。しかしその苦難の時期を経て平和が戻ると海外輸出が急増し、世界経済の発展と共に世界中の一般の人々にもシャンパンが広く飲まれるようになっていった。

修道院で生まれ、フランスの宮廷に愛されて育ったシャンパンは、貴族が消滅した後も世界大戦を乗り越えて生き続け、人々に愛されるお酒としての今日を迎えている。その歴史を振り返りながら飲むシャンパンはまた違った表情を見せてくれるのではないだろうか。